勝手に僻地散歩



間藤水力発電所跡にいってみた(足尾の産業遺産3)

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足尾駅から本山に向かう。その途上、右手に茶褐色のやや大きめのドラム缶のようなものが現れる。これが日本で3番目に古い水力発電所、間藤(まとう)水力発電所跡(栃木県日光市足尾町上間藤)である。

ちなみに日本で最初に建造された水力発電所は、1888年7月に宮城紡績が建造した三居沢発電所で出力は5キロワットの規模であった。1890年4月には、下野麻紡積会社が栃木県鹿沼に出力116.25キロワットの水力発電所を建造している。

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<写真:往時の間藤水力発電所(日光市HPより)>
間藤水力発電所は、当時薪や木炭に依存していた動力源に加えて、電化を進める足尾銅山坑内の排水、坑内運搬用の竪坑捲揚機、坑内電車、電灯など鉱山関係施設の拡充に伴う電力需要の増大に対応するため、ドイツのシーメンス電気機械製造会社のヘルマン・ケスラー技師の助言に基づき、1889年9月に着工し、1890年(明治23年)12月に完成した。発電用水は、松木川上流と深沢川から取り入れられ、山頂の大鉄管から有効落差318メートルの水力を使い、当時最新鋭の5台のシーメンス式発電機発電機が298キロワットを出力した。

発電所が稼動していた頃の写真の左上には山頂に延びる水圧鉄管が見える。現在残っている巨大なドラム缶のように見えるものは、写真にある直径1メートルのリベット接合の水圧鉄管の一部である。さらにここから渡良瀬川にかけては、発電所が建っていたが、その姿も現在は見ることはできない。。
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足尾への最新技術の導入には、古河と陸奥宗光との近さに関係がある。西南戦争時、元老院議官の職にあった陸奥が新政府転覆計画に加担したとの疑いで明治10年から15年まで6年にわたり山形と先代の牢獄に投獄される。山形の旅館経営者後藤又兵衛が、毒殺を恐れた陸奥に毎日食事の差し入れをしたが、この資金的援助をしたのが古河であった。その後陸奥は明治17年欧米に遊学するが、その費用1万円のうち2,500円を支援したのも古河である。足尾銅山における最新技術の導入は、シーメンスやジャーディン・マディソンを通じて行われたが、この仲介をしたのは陸奥だったのである。
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間藤発電所は、1906年(明治39年)に完成した日光細尾発電所によって、その使命を終え、明治41年足尾町一帯の配電を行う足尾電灯会社にその使用権を譲ったとの記録があるが、現在はご覧の通り、渡良瀬川河床にレンガ造りの水力発電所跡の基礎だけが残り、河水に洗われているのを眺めることができる。
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by iyasaca | 2008-05-10 13:01 | 栃木
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