勝手に僻地散歩



ジャフナにいってみた その7

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<写真:ジャフナ近郊の村落>
ラジブ・ガンジーとジャヤワルダナの強いリーダーシップのもと進められてきたIPKFによる紛争解決は、1989年に転機を迎える。1月にジャワルダナ大統領は退任、ラジブ・ガンジーも年末の選挙に敗れ、表舞台から去ることになる。

スリランカの新しい大統領プレマダーサ(Ranasinghe Premadasa)は、就任直後の4月にIPKF撤退を停戦の条件とする和平交渉を開き、撤退を決定する。6月にはIPKFの撤退が始まった。またプレマダーサはこの時期、LTTEとの直接協議を始めている。インド・ランカ協定の失敗の一つは、当事者であるタミル系武装勢力とりわけLTTEを対話の相手としてみなさず、インド政府とスリランカ政府が北東部の利害関係者の頭越しに交渉が進められ、実施に移そうとしていたからである。政府側首席は外務大臣A.C.S.ハミード、LTTE側はアントン・バラシンハムが代表者であった。協議の末、政府はタライマンナー、ヴェルヴェッティトウライ、ポイントペドロなど北部の戦略的に重要な軍事基地を閉鎖した。さらに協議においては北東部州議会の権限委譲、北部と東部の合併、IPKFの撤退などが話しあわれた。しかし、14ヶ月に及んだこの努力も実らず1990年6月、協議は決裂し戦闘が再開することになるのである。

一方インドの側にも政治的変動があった。ラジブ・ガンジーを首班とするインド国民会議派が、IPKF撤退を選挙公約の一つとして選挙を戦ったV.P.シン率いる国民戦線に敗北したのである。これで両陣営ともにインド・ランカ協定に否定的なグループが政権の座に就くことになったのである。スリランカへの関与の度合いを減じようと急ぐシン政権とインドの影響力排除を狙うプレマダーサの思惑は一致し、ジャヤワルダナとラジブ・ガンジーの間で締結されたインド・ランカ協定の合意事項は次々に覆されていった。やがて、インド・ランカ協定の要である北東部州議会も機能不全に陥り、事実上インド・ランカ協定は崩壊した。

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ちなみに、インド・ランカ協定によって和平がもたらされて期間にLTTEは、純粋な軍事組織から文民機能を備えた準国家的な組織へと変貌を遂げる。特に、IPKF撤退後しばらくは、スリランカ政府はJVPの騒乱の後始末に追われていたため、しばしの平穏が訪れた。その時期北東部には、すでにLTTEに対抗しうるタミル系武装組織は存在しなかったため、ジャフナを中心にLTTEは行政機能を充実させることができたのである。

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LTTEが設立した主な行政機構には以下のものがある。
1) 警察機構(タミル・イーラム警察)
2) 裁判所(タミル・イーラム司法省)
3) 士官学校(タミル・イーラム士官学校)
4) ラジオ局(Voice of Tigers)
5) 衛星テレビ局(National Television of Tamil Eelam)
6) 教育機構(Education Development Board of Tamil Eelam)
7) ロー・スクール(タミル・イーラム ロー・スクール、Law College of Tamil Eelam、独自の刑法もある)
8) 中央銀行
9) 税関
10)病院

LTTE支配地域では、上記のような行政機構が現在でも公共サービスを提供している。タミル・イーラム警察が交通違反の切符を切り、罰金については郵便局経由で支払うよう言い渡される。税関では、次から次へと運び込まれる物品に課税がされている。また放送局からはLTTEの主張が絶えず流されている。特に力をいれているのは、電子メディアである。LTTE系のウェブ・サイトでは充実したコンテンツが日々更新されている。唯一通貨だけは自前のものを持たず、スリランカ・ルピーを用いている。また、これら行政機構は、機動性を持たせるため、すべて軍事組織の指揮系統の中にある。

f0008679_056362.gifさて、1989年に始まったIPKFの撤退は1990年3月に完了する。しかしIPKFの撤退は、更なる混乱を引き起こすことになるのである。停戦期間中に軍事力の増強を図り、自信を深めたスリランカ政府は、1990年6月に、ジャフナを再奪還するための軍事作戦を開始する。政府軍はジャフナへの空爆を続け、多くの避難民が発生した。LTTEもそれに対抗するため、北東部に住むシンハラ人やイスラム教徒の村で殺戮を繰り返した。1990年10月にLTTEは2万8,000人のイスラム教徒すべてをジャフナから追放する。和平は完全に振り出しに戻ってしまったのである。そのような時期に事態をさらに悪化させる事件が発生するのである。
<写真:ラジブ・ガンジー第9代インド首相>

LTTEが目をつけたのは、スリランカ北東部の独立を阻むインド・ランカ協定を強力に推進し、再び政権に返り咲こうと戦略を練るラジブ・ガンジーであった。折りしもインドでは1991年末に選挙を控えており、ラジブ・ガンジーは精力的に地方を回り、党勢の拡大に力を注いでいた。ガンジーはその日も、国民会議派候補の応援演説を行うためにチェンナイから45キロほどの距離にあるスリペルブデュール(Sriperumbudur)村に向かっていた。しかしその場には、LTTEのブラック・タイガー部隊から女性要員ダヌ(Dhanu、本名Thenmuli Rajaratnam)が送り込まれていた。1991年5月21日午後10時10分、1万以上の2ミリ鋼球を埋め込んだ強力な軍用炸薬RDX(トリメチレントリニトロアミン)を腰に巻きつけたダヌは、用意していた花輪をガンジーの首にかけ、かがみこんで彼の足に触れたと同時に腹部に潜ませていた起爆装置を作動させた。ラジブ・ガンジー氏は即死、周りの多くの人間も巻き添えとなった。

f0008679_0574663.jpgガンジー氏暗殺というショッキングな事件も、スリランカ情勢にポジティブな変化はもたらさず、スリランカ政府軍によるジャフナ奪還作戦は継続していた。最も激しい戦闘は1991年7月、ジャフナ半島とスリランカ本島を結ぶ砂州であるエレファント・パスで行われた。エレファント・パスは、象一頭がやっと通れるくらいの幅しかない。それはつまりジャフナ半島へ陸路で至る唯一の道であるということである。そのエレファント・パスにある政府軍の陸軍基地をめぐって、5,000名のLTTE兵が一ヶ月に渡る包囲戦を敷き、双方に2,000名もの犠牲者が出るほどの激戦となった。1992年2月に政府軍はジャフナに迫るが、LTTEは少数の兵士で政府軍の波状攻撃に耐え、ジャフナを1995年12月までの3年10ヶ月間守り抜いた。
<写真:R.プレマダーサ大統領>

この大規模作戦のさなかにもプレマダーサ大統領はムナシンハ委員会(1993年)を設置するなど和平の道筋を探ったが、その動きは1993年5月1日、突然の事件によって終わりを告げる。LTTEブラックタイガー要員による自爆テロが、スリランカ大統領プレマダーサの命を奪ったのである。この事件によってスリランカ情勢は、新たな女性政治家が登場する1994年まで膠着状態に陥るのである。
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by iyasaca | 2007-05-27 02:50 | スリランカ民主社会主義共和国
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