勝手に僻地散歩



ジャフナにいってみた その5

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<写真:ヤシの木。LTTEのスナイパーが木の上に身を隠し、政府軍兵士を狙撃していたため、葉の茂る木の上部が政府軍によって切り取られている(キリノッチ近郊)>
インドがスリランカ紛争にかかわりを始めたのは1980年代のことである。インドとスリランカの関係は複雑である。インド南部のタミル・ナードゥ州は6,000万人ものタミル人口を抱えている。インド中央政府は、スリランカ北部でのタミル分離独立の動きが、いつタミル・ナードゥ州に飛び火するか分からないという懸念を持っている。現にタミル・ナードゥ州には独立派の動きもある。

インド中央政府としては、タミル・ナードゥ州の分離独立の動きを加速させかねないスリランカにおけるタミル・イーラムの分離独立という事態を避けた形での事態沈静化を望みつつも、同時にスリランカから完全にタミル勢力が駆逐されてしまうことも避けたかった。よって、その対応は一方で両者に和戦を呼びかけながら、スリランカ北東部のタミル勢力が弱体化すると、インドの情報機関RAWを通じて、陰に陽に武器・弾薬などの支援を行うなどした。結局このintricateな政策を遂行していたラジブ・ガンジーは94年にLTTEによって暗殺される。ソ連侵攻後にアメリカが支援していたアフガニスタンのムジャヒディーンが、20年後にアル・カイーダとしてパトロンであったアメリカに牙を向いたという話と似ている。いずれにしてもインド政府の抱えるジレンマが、結果としてスリランカ情勢を悪化させた側面は否定できない。

1985年のティンプー会議が頓挫した後もインドは外交攻勢をかけ、スリランカの和平に関与を続けた。1986年11月には、バンガロールにてラジブ・ガンジー首相と当時チェンナイ(マドラス)に居を構えていたプラバーカランとの直接協議が行われている。間を取り持ったのは、当時LTTEのパトロンと言われていたタミル・ナードゥ州州政府首相のM.G.ラマチャンドランである。プラバーカランは、ガンジーが提示した州単位での権限委譲に納得しなかったが、ラジブ・ガンジーはタミル系武装勢力とではなく、スリランカ政府との交渉を続けた。インドは硬軟織り交ぜた外交交渉を行う。交渉が行われているさなかの1987年6月5日、インド空軍は、ジャフナでスリランカ政府軍に包囲されていたLTTEに25トンの食糧と薬品輸送を行った。あと一歩で陥落というところまで来ていたスリランカ政府は大きな痛手を蒙った。協定締結に応じることを促すインド政府からのメッセージであった。

そして、ついに1987年7月29日、ジャヤワルダナ大統領とラジブ・ガンジー首相の間でインド・ランカ協定が締結された。この協定でタミル系武装勢力に対する武装解除やスリランカ政府による北東部への州単位での権限委譲、タミル語の公用語化、インド平和維持軍の派遣などが合意された。多くの合意事項はインド側の意向に沿ったものであった。主な合意内容は以下の通り。

1)一つのスリランカ、スリランカの主権と統一の維持
2)各民族の文化的・言語的アイデンティティの保護
3)北東部州をタミル語を話すスリランカ人の歴史的居住地域として承認する
4)「暫定措置」として、北東部州を一つの選ばれた州議会、一人の州知事、首席大臣と各大臣から構成される委員会を持つ一つの行政単位とする。
5)「暫定措置」の将来については、1年後に行う国民投票で決定する。
6)上記合意条件の下、インド政府は「提案の実行における問題解決と協力」を引き受けることを保障する。


LTTE議長のプラバーカランは、調印式のその日、デリーのアショカ・ホテルにて事実上の軟禁状態にあった。IPKFが進駐し、「ようやく平和が訪れる」と大歓迎したタミル人を横目に、LTTE幹部はプラバーカランの軟禁解除を要求する抗議デモや座り込みを行った。72時間以内の武装解除という合意事項の履行を求めるIPKFに対し、LTTEのジャフナ地域司令官のクマーラッパは、プラバーカランの命令なくして、武装解除は実施できないと応じる。72時間という武装解除期限を翌日に控えた8月2日、インド当局はプラバーカランの軟禁措置を解いた。プラバーカランは、その日のうちにジャフナに戻り、翌々日、ストゥマライ・アンマン寺院の境内でスピーチを行った。5万人の群集を集めたスピーチの中で、今回の両政府の合意は、「我々のコントロールを超えるところで我々の政治的運命を決定した」ものであるものの、合意は受け入れなければならないと表明し、LTTEの武装解除にも同意した。しかし、結局LTTEは2車両分の武器しか差し出さず、本格的な武装解除にはついに応じなかった。

合意に対する反対はLTTEだけではなかった。野党スリランカ自由党(SLFP)とJVPは合意に反対し、抗議デモを行った。デモの群衆は暴徒化し、38名が死亡する事態も発生した。協定締結の歓迎式典では、スリランカ海軍の水平が銃口を招待されていたラジブ・ガンジーに向けるという事件まで発生する。

f0008679_05651100.gifそしていよいよインドからの平和維持軍(Indian Peace Keeping Force, IPKF)の進駐が始まる。IPKFは合意に基づきLTTEの動員解除に着手する。しかし合意したはずの武装解除にLTTEは反発し、IPKFとの間で武力衝突にまで発展してしまう。平和を維持するはずのIPKFは、皮肉にも本格的軍事作戦の展開を余儀なくされるのである。IPKFが強引に進めた軍事作戦は、北部・東部のタミル人の反発を買うことになった。同時にシンハラ民族主義者からもインドのプレゼンスへの反感がさらに強まることにもなった。
<写真:インド平和維持軍(Rediff.netより)>

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by iyasaca | 2007-05-12 08:16 | スリランカ民主社会主義共和国
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