勝手に僻地散歩



ジャフナにいってみた その4

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1976年5月5日 、「タミルの新しい虎」から「タミル・イーラム解放のトラ」へと名称を変えたプラバーカランはLTTEの議長および軍司令官に就任する。LTTEの活動は1983年に至るまでは、訓練場に踏み込んできた警察隊への防御的攻撃や銀行強盗など、いわば組織犯罪というレベルにとどまっていた。

1977年の暴動事件の6年後の1983年7月、スリランカで再び暴動が発生する。後に「暗黒の7月事件」と呼ばれる騒擾事件である。この事件の後、スリランカは「タミル・イーラム解放のトラ」(Liberation Tigers of Tamil Eelam: LTTE)対スリランカ政府という武力対立の時代へと入っていく。

1977年の暴動事件同様、そのきっかけは小さな事件であった。1983年7月23日、LTTEがジャフナ近くで政府軍を待ち伏せし、13名を殺害した。似たような事件は過去にもあったが、2日後に事態が急変する。コロンボで執り行われた政府軍兵士の葬儀に参列したシンハラ人の一部が暴徒化したのである。暴徒は道行く人の身分証明書を取り上げ、タミル人に対しては危害を加えた。暴動は、1977年同様、キャンディ、マータレ、ナワラピティヤ、バッデュラ、ヌワラエリヤなど各都市に飛び火した。スリランカ政府は24時間後、戒厳令を布告し、暴動の鎮圧に努めると同時に、タミル人に対して警護つきの一時避難所を市内5ヶ所に提供するなどの措置をとった。暴動は、7月28日にスリランカ政府の要請を受けたインディラ・ガンジー首相が、外務大臣ナラシマ・ラオを団長とする使節を派遣したことをきっかけに沈静化した。正確な数字はないが、1,000名から3,000名の犠牲者が出たと言われている。

ただ1983年当時、LTTEは多くのタミル系武装組織の一つに過ぎなかった。支持基盤などの面で伸び悩んでいたLTTEは、事態打開のため1984年4月、イーラム民族民主解放戦線(Eelam National Liberation Front;ENLF)という3つのタミル系武装グループから成る連合組織に参加した。ちなみにその3つの組織とは、

1)タミル・イーラム解放組織(Tamil Eelam Liberation Organization, TELO)
2)イーラム革命学生組織(Eelam Revolutionary Organizers of Students, EROS)
3)イーラム人民革命解放戦線(Eelam People’s Revolutionar Liberation Front, EPRLF)
である。

1983年の内戦勃発後、LTTEは北東部ムライティヴ地区(Mullaitivu)のケント&ダラー牧場事件(33名死亡)やアヌラーダプラ事件(146名死亡)などで市民への無差別発砲などの事件を幾度か起こしているが、いずれも散発的な事件であり、持続的な戦闘を伴うものではなかった。このLTTEの戦闘能力は停戦と戦闘を繰り替えすごとに強化されていくことになる。

スリランカ政府とタミル側の間には今まで5回の和戦の機会があった。最初の和平の機会は、1985年に訪れた。1985年6月、ジャヤワルダナ大統領はニューデリーでラジブ・ガンジーと会談を行う。ラジブ・ガンジーはスリランカとの関係改善に積極的で、生涯を通じて、スリランカ問題の解決に力を注いだ。スリランカ北部のタミル問題がくすぶり続けることは6000万を越えるタミル人を抱えるインド南部州の一つタミルナードゥ州の分離独立の動きにもつながりかねず、インドにとってスリランカは安全保障上の懸念であった。スリランカにとっても、インド南部からスリランカ北部へと渡る経済支援、軍事教練場として提供されていることなどに不満を抱いていた。

その後、インドの外務事務官ロメーシュ・バーンダリがコロンボを訪問し、実務協議を行った。協議の末、6月18日、スリランカ政府とタミル系武装組織は停戦を発表、翌月にブータンの首都ティンプーで和平交渉を行うことを発表した。

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<写真:第一回ティンプー和平協議の様子(Association of Tamils of Sri Lanka in the USAより)>
ティンプーでの会議には、タミル側からは、学生によるイーラム革命組織(Eelam Revolutionary Organizations of Students: EROS)、タミル・イーラム人民開放組織(People's Liberation Organization of Tamil Eelam: PLOTE)、タミル統一解放戦線(Tamil United Liberation Front: TULF)、イーラム国民解放戦線(Eelam National Liberation Front、ENLF:LTTE、TELO、EPRLFの三団体の連合組織)が招待された。当初イーラム国民解放戦線(ENLF)は、参加に難色を示していたが、インド政府の強い働きかけにより参加を表明した。上にも述べた通り、タミル系武装組織の一つに過ぎなかったLTTEはENLFの一員として会議に参加した。

1985年7月に6日間に渡って開催された第一回会議では、まずタミル代表団から4つの要求が提示された。
1)タミル人は、異なるアイデンティティを持つため、国家(Nation)として認められなければならない。
2)スリランカの北東部地域がタミルの歴史的居住地域(traditional homeland)であることの承認と、その領土の不可侵性の保障
3)スリランカのタミル人の自決権の承認
4) スリランカに住むすべての住民に対する民主主義原則の適用と基本的人権の保障(平等原則)

スリランカ政府代表の団長は、最初の3つの要求が、スリランカからの分離独立を意味するのであれば容認できないと回答し、そして4つ目の要求については、今回のタミル代表団には近年インドから移住したいわゆるインド・タミルを代表する組織が含まれていない、つまり「スリランカに住むすべてのタミル人を代表していない」ため、その要求をする資格がないと回答した。また解決策は既存のスリランカ憲法の枠内で行うこと、よって北東部への権限委譲は、県単位であり、またその場合においても現憲法で規定されている県議会の權限を越えることはないと表明、タミル側は反発し、協議はほとんど進展しなかった。唯一、次回協議の日程にだけは合意し、第一回会議は終了した。

スリランカ北部で7月20日からスリランカ政府とタミル系武装組織間の武力衝突が続く8月12日に開催された第二回会議では、スリランカ政府の攻撃が止まないことを理由に、LTTEが会議の途中で引き上げてしまった。他のグループは話し合いこそ進めたものの、結局成果を出すことができずに、停戦は破棄された。

第二回会議が決裂した後も、インドはいくつかの提案を行っている。その中でも県単位ではなく、州単位での権限委譲を内容とする枠組みは、その後の和平協議のよりどころとなる重要な提案であった。しかしながらこの提案は、スリランカ政府の同意をとりつけるところまでいったが、タミル側の同意を得ることはできずに実現には至らなかった。

和平協議が頓挫するとLTTEは、当時最大の勢力を誇っていたTELOとの抗争に入る。数ヶ月でTELOの指導部と数百の志願兵は全滅し、TELOは武装組織として機能不全に陥った。その後TELOは、武装組織としてではなく、政党として活動することとなる。そしてTELOを掃討した数ヵ月後、LTTEはEPRLFとの抗争を始める。LTTEはEPRLFとの抗争にも勝利し、EPRLFは支配地域であったジャフナ半島から完全撤退する。

LTTEがタミル・イーラムを標榜する他の武装組織との抗争に走った理由については諸説ある。TELOに対しては、インドに対する立場の違いが背景にあると言われている。インドの情報機関である情報分析局(Research and Analysis Wing, RAW)から武器、軍事教練、資金面などで援助を受けつつも、インドに対しては距離を置いていたLTTEは、親インド的な立場をとるTELOと折り合いが悪かった。特にスリランカ問題の連邦制による解決を打ち出していたインドの新首相ラジブ・ガンジーの登場は、親インドのTELOがタミル側に不利な連邦制を支持するのではないかとの疑念をLTTEに抱かせることとなったのである。ティンプーでの和平協議における他のタミル系組織の姿勢もLTTEにとっては「インドに譲歩しすぎ」であり、受け入れられるものではなかったのかもしれない。

いずれにしてもLTTEは短期間に、敵対する勢力は武力で排除し、他のタミル系武装組織を傘下におさめた。87年にはLTTEはタミル・イーラムを主張するほぼ唯一の政治勢力となっていたのである。

f0008679_18332252.jpg抗争のさなかにあっても、LTTEはプラバーカランの強力な指導のもと、着々と体制を整えていった。1984年にはシータイガーという海軍部隊を、また1987年には自爆テロ部隊であるブラック・タイガーが作られるなど、LTTEは徐々に軍事力を蓄え、また同時に陰惨な殺戮事件も起こすようになっていた。当初はLTTE要員による短機関銃、自動小銃、手榴弾などの攻撃がメインであったが、徐々に自爆テロ事件も起こすようになる。



LTTEが関係したといわれる暗殺事件のリンクはここ。(Wikipedia英語版)
同じくLTTEが関係したといわれるテロ事件のリンクはここ。(Wikipedia英語版)


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by iyasaca | 2007-05-05 19:24 | スリランカ民主社会主義共和国
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