勝手に僻地散歩



ナガランド州コヒマにいってみた その5

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コヒマは多くの丘からなる町である。それぞれの丘には、名前がついているが、ほぼ全てが、軍事用語を由来としている。例えば、FSD HillのFSDは、Field Supply Depot(兵站所)の略、ギャリソンヒル(Garrison Hill)はその名の通り、守備隊が駐屯していた丘である。その他にもJail HillやDetail Issue Hill(DISヒル)など、どれも名前を見れば軍事上どのような機能を担っていたかが分かる。一方、日本軍も作戦遂行上、それぞれの丘に名前をつけている。例えば、ギャリソンヒルは「イヌ」、その南にあるKuki Piquetは「サル」と呼んでいた。



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コヒマの攻略には佐藤師団長率いる第31師団(烈)師団があたった。第31師団は3ヶ月に渡る戦闘で、5,000名(英印軍側死者は4,000名)もの犠牲を出した末、コヒマを放棄することになる。そして、コヒマ放棄はインパール作戦ひいてはビルマ戦線崩壊の序曲となるのである。

インパール作戦の図(これを見ると作戦の全体像が分かりやすい)

1944年3月15日にホマリン(Homalin)近くのチンドウィン(Chindwin)川を渡河した第31師団〔烈〕は、三手に分かれて北西方面へ進軍していった。行軍は100キロにも及んだ。途中で、インパールの北側を守る英印軍(Indian 50 Parachute Brigade)とサンシャーク(Sangshak)付近で遭遇した烈師団左翼(最も南を進軍)、宮崎繁三郎率いる第58連隊以外はほぼ順調にコヒマへ進軍した。第58連隊は、第15師団(祭)の援護も受け、英印軍を一週間ほどで撃退し、4月3日にはコヒマに到着した。その行軍も苦難に満ちたものだった。陸軍歩兵第58連隊に従軍した泰伸之兵長によると
「全部が苦しいですよ、一週間寝た覚えがほとんどない。大休止のとき仮眠するだけであって、次もうあの山の中、2,000メートル級の山岳戦だからね、そこを突破して行ったんだから一週間あるいは10日ってものはは寝ず食べずで行ったわけだ。」、(シリーズ証言記録 兵士たちの戦争、「インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘ー新潟県高田陸軍歩兵第58連隊ー」、NHK,2008年8月26日放送)

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本格的な包囲戦は4月6日に始まった。8日にはコヒマの北東部を攻略、ギャリソンヒル方面に進出、17日に占領した。その後も陣地を南に向け着々と広げていった。5月4日の時点では宮崎麾下の4大隊が、コヒマの尾根の東側を押え、主力の佐藤師団長率いる4大隊は、中心部のナガの村落を、右翼は北と東の村落を押えていた。しかし、すでに食糧も弾薬も尽きており、烈の師団としての能力には限界が近づいていた。
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by iyasaca | 2006-08-11 11:05 | インド
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