勝手に僻地散歩



ミクロネシア連邦ポンペイ州にいってみた その4 スペイン砦 / アルフォンソ13世砦 前編

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ドイツ鐘楼から南に徒歩数分、丘の上のやや開けた場所にスペイン砦公園(Spanish Wall Park)とコロニア野球場(Kolonia Ball Park)がある。スペインの植民地時代には、この辺りに堅牢な砦に囲まれた植民統治機構の中枢があった。現在は野球場と公園を隔てる一画にわずかに遺構が残る程度である。

スペイン人が、このようなのどかな島に砦が必要であったのは理由がある。話は19世紀に遡る。

スペイン艦船「マニラ」がポンペイに上陸したのは1886年7月25日のことである。上陸と同時に領有を宣言したスペインは、その8ヶ月後の1887年3月13日、初代総督となるドン・イシドロ・ポサディージョ(Don Isidro Posadillo y Posadillo)を送り込んだ。新総督には、補佐官、武官2名、フィリピン人兵士50名、カトリック司教6名(Fr. Saturnino de Artajona, Fr. Agustin de Ariñez, Fr. Luis de Valencia, Br. Miquel de Gorriti, Br. Gabriel de Abertesga, Br. Benito de Aspa)、人夫(実際にはフィリピンの罪人)50名などが同行した。

f0008679_6582894.jpg島の北部の港にほど近い丘の上、現地の人たちにメセニエン(Mesenieng)と呼ばれていた一画を統治の拠点として選んだポサディージョは、住居棟、教会などの建設を始め、この新都市をサンチアゴ・デ・ラ・アセンシオン(Santiago De la Ascension)と名づけた。しかし、長い名前であることもあったためか、通称ラ・コロニア(La Colonia)と呼ばれていた。これが現在の町の名前、コロニア(Kolonia)の語源である。

<写真:ポサディージョ総督肖像、Grabado de la Ilustracion Espanola y Americana 1887>

しかしこのスペインの進出はすぐに現地で軋轢を生む。特にすでに30年近く布教活動に勤しんでいたプロテスタントの布教団との折り合いは良くなかった。新たに入植したスペイン人に対し、土地の所有権をめぐり、苦情申し立てをしたニューヨーク出身の宣教師エドワード・ドーン(Edward Doane)は逮捕され、マニラに追放されている。その背景に深く言及しないが、この追放という処分は、長く布教をしていたプロテスタント、新興勢力のカトリック、村ごとに酋長が相互に牽制しあうという複雑なポンペイ政治の産物であった。

f0008679_22312273.jpgこのドーン宣教師は、1855年2月6日、35歳のときにポンペイ(ポナペ)に入り、生涯を太平洋島嶼国の布教に捧げた人物である。彼は、1890年5月15日にホノルルで没するまで、生涯で3度ポンペイに渡っているが、初来島時のポンペイ島はひどい状況にあった。その前年、1854年に島内で天然痘が猛威を振るい、わずか1年で島民の約半分にあたる2,000人が死亡していたのである。次々と身近な人々が病に斃れ、為す術もないという状況は、想像を絶する。天然痘は継続的にポンペイ島民を襲っており、1820年代に1万人を超えていた人口は、1850年代後半には2,000人にまで減少していた。
<写真:エドワード ドーン宣教師肖像、本井康博、京都のキリスト教-同志社教会の19世紀、日本キリスト教団同志社教会、1998>

ドーン宣教師は、ポンペイには1873年まで滞在、夫人の健康状態もあり、いちどポンペイから離れている。その行き先は京都であった。ドーン夫妻はサンフランシスコからの27日間の船旅の末、1873年9月28日に神戸に到着、その後京都に向かった。京都では、1875年に新島襄によって設立されたばかりの同志社大学の前身、同志社英学校にて、神学(旧約聖書講義)と音楽(賛美歌)を2年ほど教えていた。ドーン夫人も同志社大学における女性教育の歴史に名を刻んでいる。

f0008679_7525248.jpg宣教団の記録(The Missionary Herald)からドーン夫人の動静が途絶えるのは1877年のことである。おそらく最後の記録からそれほど時間を置かずに世を去ったのだろう。このことも影響したのか、ドーンは、再びポンペイに渡ることを決意する。ホノルルを経由してポンペイに戻ったのは1879年6月10日のことである。それから8年余り、1887年に逮捕され、マニラに強制退去させられるまでポンペイで布教活動に勤しむのである。

ドーン追放後、ポンペイの情勢は大きく動く。そのことがスペイン砦建造の直接的な理由となるのである。
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by iyasaca | 2014-05-03 08:04 | ミクロネシア連邦
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