勝手に僻地散歩



ミクロネシア連邦ポンペイ州にいってみた その3 - ドイツ鐘楼

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ポンペイ州の州都、コロニアの中心部に一際目立つ構造物がある。ドイツ鐘楼(German Bell Tower)である。この鐘楼はかつて存在したポナペ大聖堂(Cathedral of Ponape)の一部である。

大聖堂建築は、カトリックの一派であるカプチン・フランシスコ修道会の3名の修道士の発案によるものであった。当時コロニアには、1905年の台風の後に建てられた仮設の木造教会しかなかったのである。

建設途上の1911年3月1日には、カロリン諸島と呼ばれていたこの地域はマリアナ諸島に統合され、使徒座代理区(Vicariate)が設定された。使徒座代理区とは、カトリック教会の教区がまだ設置されていない宣教地域に適用される暫定的な教区設定の措置で、(名義)司教が置かれるという点で、カトリックの世界では「格上げ」の扱いとなる。翌年、パラオで6年間過ごしていたサルバトール・ピエール・ワレザー(Salvador-Pierre Walleser)が、司教の座に就いている。
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<写真:ポナペ大聖堂外観、三層構造だった>
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<写真:ポナペ大聖堂内部、ミサの様子Catholic Church in Pohnpei, Micronesian Seminar
1913年に完成した大聖堂は、南国の島国に似つかわしくない壮麗なさを誇った。文明の威容は効果てきめんで、ポンペイにおける布教はこの大聖堂を中心に順調に進んだ。島の人口の3分の1にあたる1,500人もの島民が洗礼を受け、350人が近傍の6つのミッション・スクールに通うまで広がりを見せた。

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<写真:米軍爆撃直後のポナペ大聖堂、1944年, Micronesia Seminar>
その後、第一次大戦を経て、日本の統治下に入ったポンペイは、カトリック教会にとって難しい時代に入った。大聖堂は、日本軍のバラック、食料庫と不本意な役割を担った後、終戦直前の1944年、米軍の空襲と艦砲射撃を受け、鐘楼と大聖堂の祭壇の後ろの一部(アプス)を除き、失われた。
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さて現存する鐘楼の高さは十字架も入れると22.5メートル、その隣に残るアプスは横5.8メートル、奥行き9.6メートル。天井は部分的に崩れているが、高さは約10メートルである。建設当時から外壁に塗装は施されていなかった。
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ご覧の通り、鐘楼は全体的に老朽化がかなり進んでいるが、特に外部に露出することが想定されていなかった南側の壁の損傷が著しい。長年の風雨によってあちこちにヒビが見られ、そこから植物も生えている。
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直接は確認できなかったが、最上部には真鍮製の鐘が二つ据え付けられており、木造の木枠、鉄製の揺り軸は腐食しているとのことである。
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<写真:鐘楼内部。昇る?>
鐘楼の一層目は、60センチあまりの玄武岩と石灰モルタルからできている。二層目と三層目は壁面は40センチほどの厚さで、コンクリートと石灰モルタルが使われ、表面はセメントモルタルでコーティングされている。鐘楼内部には、木造構造もあったようだが、全て残っていない。鋼材が見えるのみである。

鐘楼の最上部からは市内と海が眺望できるとのことである。同行の士が「安全である」と断言してくれたが、下から上を眺めるにとどめた。
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by iyasaca | 2014-04-04 22:18 | ミクロネシア連邦
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