勝手に僻地散歩



沖縄に行ってみた その2 -旧石器時代における「日本人」の痕跡

「日本人はどこから来たのか」という疑問は、日本人ならば少なくとも一度はぼんやりと抱いたことがあるだろう。沖縄はこの問いに対する回答に貢献するところが大きい。

日本列島に人がやってきたのは4万年前のことと言われている。その集団がやがて「縄文人」(縄文時代は約1万6,000年前から2,300年前までの期間、旧石器時代とは土器の発見時期によって区分)という均一な集団を形成し、その後、2,900年ほど前に朝鮮半島から渡ってきた渡来系弥生人がその縄文人と混血し、現代日本人の祖先となった、というのが少し前までの定説であった。原日本人の渡来から縄文時代に至るこの歴史の記述を支える貴重な考古学的発見の多くは、沖縄が提供している。本州の土壌が人骨の残りにくい酸性であるのに対し、沖縄の土壌は石灰岩質であるからである。

日本の国土から発掘された旧石器時代のものとされる人骨は以下の通りである。

1)白保竿根田原(しらほそねたばる)洞穴発掘の人骨(沖縄県石垣市)
f0008679_23234468.jpg2007年に新石垣空港建設予定地内の洞穴より頭、脚、腕などの骨9点が発掘される。2010年2月に発表された放射性炭素年代測定の結果、そのうちの1点の20代-30代の男性の頭骨片(左頭頂骨)が約2万年前、他に2点も約1万8千年前及び約1万5千年前のものであることが確認された。


<写真:白保竿根田原洞穴出土の骨片>
2010年3月に新たに発見された約25点の人骨の一つである肋骨の一部を米田穣・東大准教授らが放射性炭素測定法にて分析をしたところ、2011年11月10日、2万4000年前の人骨であることが判明した。人骨の直接測定から得られた年代としては国内最古である。同時に出土した他の3つの骨片も約2万年前との分析結果が出ている。

国立科学博物館が2013年、5つの骨片からDNAの抽出に成功、うち2点はM7aと判明。M7aは現代日本人の7.4%が持つ。沖縄には24%、北海道にも16%と地域的に偏りがあるハプログループである。国外ではフィリピンルソン島に9%、朝鮮半島に4%確認されている。しかし縄文時代には東北地方に多く(50%)、北海道、関東には少なかった。南方から渡ってきたと思われるM7a型が、旧石器時代にあたる約2万年前の沖縄から出たことの意味ははかりしれない。ミトコンドリアDNAのエントリーに詳細あり。

2)浜北人(静岡県浜北市)
f0008679_23323424.jpg1960年から62年にかけて根堅の石灰採掘場で行われた発掘調査で、頭骨片と四肢骨片(鎖骨・上腕骨・寬骨・脛骨)が出土した。
<写真:浜北人骨(上層人骨複製)、浜松市博物館収蔵>
当初は人骨から直接測定ができず、それぞれの層から出た獣骨(トラ・ヒョウ・クズアナグマ・ニホンシカ・ナキウサギ・キクガシラコウモリ・サル・イシガメ、ヒキガエル、鳥類など)の年代を加速器質量分析(AMS)法による炭素年代測定で割り出すという手法をとり、1万4,000-1万8,000年前との結果が出ていた。

2002年9月に浜北人の頭や腕の骨から0.2-0.5グラムの少量の骨の試料を採取し、放射性炭素年代測定の対象となるタンパク質のコラーゲンの抽出に成功した。その試料を放射性年代測定で分析した結果、約1万3,900-1万4,200年前の人骨と判明、すでに同じ地層から発見された獣骨とほぼ同じ時代の人骨であることが裏付けられたのである。コラーゲンは肌のはりを維持するためだけのものではないのだ。

3)その他(港川人、山下町洞人など)
f0008679_23395499.jpg歴史の教科書によく出てくる1967年に発掘された港川人(沖縄県八瀬町港川)は1万8,000年前、1969年に那覇市山下町から出土した山下町洞人が3万7,000年前の人骨とも言われている。ほかにも、

ピンザアブ洞人(宮古島ピンザアブ洞穴、1979年発掘)
ヒトの後頭骨片が発掘された後、三次の調査が行われた結果、上左第2小臼歯、下左第2切歯(第一次調査)、頭頂骨、右第1中手骨、手指末節骨(第二次)が発掘されている。同じ地層から出土した木片の放射性炭素年代測定の結果、約2万6000年ほど前のものであることが判明。

下地原(しもじばる)洞人(久米島下地原洞穴、1982年発掘)
同一個体の人骨が50片発掘される。分析の結果、右下顎骨、生後8-10ヶ月の乳幼児の脊椎骨と肋骨、肩甲骨、鎖骨、上腕骨、大腿骨と判明。同じ地層で発掘されたカニ化石の放射性炭素年代測定によると約1万5000年前と鑑定される。



<写真:港川人1号全身骨格>
サキタリ洞人(沖縄県南城市、2009年より発掘開始)
2012年10月19日に沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡にて、人骨化石(長さ約2センチの子供の犬歯1点)と石英製の石器(剥片石器3点)、獣骨(イノシシ、貝など)などが発掘される。同じ地層の木炭を放射性炭素年代測定法で分析した結果、約1万2000年前と判明した。2013年には9000年前とされる押引文土器も発掘されている。

f0008679_243339.jpg2014年2月15日には貝器(道具、装飾品)、人骨などが出土したことが発表された。旧石器時代の遺跡から貝器が出土したのは国内初である。出土した貝器は、二枚貝のマルスダレガイ科20点、クジャクガイ3点の計23点でいずれも2-4センチほどの破片。二枚貝には加工して扇形に揃えたものが7点、叩いて割れ口を鋭くし、物を切ったり、けずったりすることができるように加工が行われた跡があった。また使用時に生じた線状の傷跡もあった。


<写真:サキタリ洞より出土した国内初の旧石器時代の貝器>
装飾品は細長い筒状の形をしたツノガイを加工したものが2点、いずれも1-1.5センチほどの破片である。内側に人為的にこすった跡があり、ビーズのような形状になっている。用途が明確に推定できるのは、上記貝器を合わせて9点のみ。

ほかにも、大人の人間の臼歯(2センチ)と舟状骨(足首の骨、4〜5センチ)の2点、モクズガニの爪、食料のイノシシの骨、焼きけた形跡のある土も見つかった。今回の一連の出土品は、同じ地層にあった木炭を放射性炭素年代測定した結果、2万3000~2万年前という結果が出た。

さらに大山洞人、ゴヘズ洞人、カタ原洞人という旧石器時代と思われる人骨も沖縄から発掘され、フッ素分析、フイッショントラック法などの方法で分析されている。いずれも1万年前との結果が出ているが、新しい技術によるさらなる分析が求められているところである。

3)項にあげたものは、いずれも人骨そのものの放射性炭素年代測定による結果ではなく、同じ地層から出土した動物の骨などの炭化物を分析した結果に基づく推測であり、後に新しい時代のものが紛れ込んだ可能性も否定できないことから、上記2例と並列に並べて論じることはできない。

とはいえ、港川人の史料的価値は、全身の人骨が出土したところにある。他は骨片しか出土していない。全身の人骨があるということは、形態分析が可能であるということである。港川人は、頭骨の分析から九州以北の縄文人の祖先であるとされてきたが、最近の研究で、そうではないということが分かってきた。
[PR]
by iyasaca | 2012-07-17 01:22 | 沖縄
<< 沖縄に行ってみた その3 - ... 沖縄に行ってみた その1 >>


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
検索
以前の記事
カテゴリ
タグ
ブログパーツ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル