勝手に僻地散歩



修善寺温泉にいってみた その1

f0008679_20584441.jpg
<写真:修善寺本堂正面に掲げられた副島種臣による寺号額>
駿河湾に注ぐ狩野川の支流、伊豆山中を流れる桂川のほとりに弘法大師の建立と伝えられる社殿がある。修善寺温泉の象徴として内外から観光客を集める修禅寺である。創建は807年。これは桓武天皇崩御の翌年である。写真の寺号額は、額は横246センチ、縦108センチの大きさである。表面は書を写して陽刻され、裏側には明治21年4月21日の日付、寄進した8名の世話人、制作に関わった大工職勝呂萬之助、塗師前田萬助などの名前が墨書されているとのことである。下地の朱色が金泥になじんで古色を帯びたこの寺号額は歴史ある修禅寺に最も相応しい。

さて古くは桂谷と呼ばれていたこの温泉地としての歴史も9世紀にまでさかのぼる。古い言い伝えが残っている。

f0008679_21262468.jpgある日弘法大師が、桂川の水で病気の父の体を洗っている息子を見かけた。その親孝行ぶりに感心した弘法大師は、
「川の水じゃ冷たかろう」
と持っていた仏具(独鈷杵、とっこしょ)を使って川の岩を砕いたところ、温泉が湧出したという。弘法大師に教わった温泉療法にて、10年来苦しんできた父の病はたちまちに治ったという。
<写真:独鈷杵のイメージ。奈良国立博物館所蔵>

f0008679_21101057.jpg
<写真:伊豆修善寺温泉場、六十余州名所図会、歌川広重>
時代はくだって江戸の中頃。この時期に修善寺界隈で湯治客相手に木賃宿として部屋貸しが始まる。江戸後期には、歌川広重の手による六十余州名所図会の中で、名所の一つとして「伊豆修禅寺湯治場」が紹介され、湯治場として全国的に知られるようになった。明治から大正にかけて修善寺は湯量が豊富だった(現在、共同浴場は独鈷の湯しか残っていないが、当時は9つもあった)こともあり、大いに栄えた。芥川龍之介、横山大観をはじめ、多くの文人墨客が訪れたことも修善寺の湯治場としての名をさらに高めることになった。ちなみに、夏目漱石が一時意識を失うほどの大吐血をして、2ヶ月もの長逗留をしたのもここ修善寺である。
f0008679_2121116.jpg
<写真:護岸工事中の桂川。奥右手に独鈷の湯が見える。>
戦後、源泉は乱掘され、1950年(昭和25)には自噴泉が枯渇し、源泉温度も低下する事態に立ち至った。見かねた修善寺の温泉事業協同組合は1981年に、当時利用可能だった74の源泉のうち優良な26カ所を選び、集中管理センターを立ち上げた。現在修善寺の源泉はすべて一カ所に集められ、そこから温泉宿に供給されている。したがって修善寺では、どの温泉宿に宿泊しても、同じ泉質を味わえる。
[PR]
by iyasaca | 2010-03-27 20:59 | 静岡
<< 修善寺温泉・新井旅館にいってみ... 四万温泉 積善館にいってみた その2 >>


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
検索
以前の記事
カテゴリ
タグ
ブログパーツ
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル