勝手に僻地散歩



パラオにいってみた その5 旧南洋ホテル

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<写真:旧南洋ホテル車寄せ>
コロール島の東部、国道沿いに建つTree-D Motel横の小道を少し北に入った場所に旧南洋ホテル跡がある。ホテルは建物が失われ現在も残るのは、この車寄せだけである。国道沿いにホテルの入口跡である門柱が残っていることから、現在は住宅がびっしりと建っているこの一画はすべて南洋ホテルの敷地であったことが推測できる。現在もこの辺りは地元の人たちに「ホテル」と呼ばれている。国道に面した門柱から車寄せまで歩くと結構かかる。
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<写真:時節柄、トリが恐ろしい>
南洋ホテルについての情報は少なく、詳細については分からないが、この広大な敷地を考えると相当数の宿泊客をさばくことが可能であったのではないかと考えられる。しかし果たして、戦前・戦中の日本統治時代に南洋の離れ島にそれほどの来客があったのであろうか。
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<写真:このような石灯籠がコロール島のあちこちにある>
結論から先に言うと、あったのである。パラオへの当時の足は船がメインであったが、大日本航空株式会社による定期路線も就航していた。大日本航空とは、1938年に日本航空輸送株式会社と満州航空全額出資の国際航空株式会社とが合併して誕生した国策会社であった。いま経営危機に沈む日本航空(JAL)とは直接の関係はない。

翌1939年にはパラオに至る定期路線便が運航を開始している。当初は定期路線便といっても月に2便程度であった。使われた機体は川西航空機製造(現新明和工業株式会社)の川西式四発型輸送飛行艇であった。川西航空機製造は、関西出身の財閥で日本毛織の社長、川西清兵衛が中島知久平との経営方針を巡る確執の後、1923年に中島飛行機への支援を打ち切って出資して設立した新しい会社であった。中島飛行機は富士重工として今にそのDNAをつないでいるが、川西航空機製造は、新明和工業株式会社として飛行艇の製造を続けている。パラオまでは、2日がかりの旅程であったというが、後に週一に増便しているところを見ると利用者が結構いたということになる。
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by iyasaca | 2009-08-01 00:47 | パラオ共和国
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知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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