勝手に僻地散歩



パラオにいってみた その1

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ミクロシア地域の西端、フィリピンに程近い離島であるパラオに来ている。スペインに「発見」され、その後ドイツ、日本、米国の統治を経て、独立国家となっている。独立国家とはいえ、米国からの多額の財政支援と引き換えに防衛・安全保障にかかわる主権を委譲しているのは、過日のエントリーで取り上げたマーシャル諸島と変らない。

パラオの民が居住していた痕跡は紀元前1,000年にまで遡ることができる。しかし何しろ文字を持たないため、文献による記録は1543年にスペイン人のルイ・ロペス・デ・ビリャロボスが訪れるまで待たないといけないという点もマーシャルと同じである。その後に誰がいつパラオを訪れたという記録はネットに転がっているので、ここで触れない。ただ18世紀のエピソードだけは紹介しておきたい。

1783年、現在は東急グループの総裁五島昇がつくったパラオ最高級ホテルのあるパラオ・パシフィック・リゾートが建つアラカベサン島の沖合いで、英国船「アンテロープ」が座礁する。コロール島の大酋長アイバドル(イベドゥル)はこの座礁船から乗員を救助する。アイバドルの支援で建造された新たな船「ウーロン号」は3ヶ月で完成する。

大酋長アイバドルはその間、アンテロープの船長ヘンリー・ウィルソンに繁栄を極める英国をはじめとした西欧の様子を毎夜聞いていたのであろう。ウィルソンに説得されたのか、アイバドルが依頼したのか、1783年11月12日、アイバドルの息子レブー王子は英国行きのウーロン号に乗船し、英国に向かうこととなった。しかし不運にも王子は英国で天然痘を罹患し、絶命する。 ウィルソンは、王子の遺品と貢物を携えてアイバドルの元に戻ったという。文明国から来た英国人が原住民を野蛮人として見下すのが通常であっただろう時代に、アイバドルとウィルソンは、互いに人間として強い紐帯を築いていたのである。

この一連の顛末は、東インド会社がパラオに残した石碑に刻まれている。
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by iyasaca | 2009-07-04 22:48 | パラオ共和国
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知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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