勝手に僻地散歩



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屋久島にいってみた その9

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大王杉を過ぎ、細かな上りと下りが繰り返す山道を歩き続けると、忽然と目の前に木組みの展望台が現れる。5時間に及ぶ縄文杉を目指す旅が終わったのである。


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展望台の階段を登り終えると、目の前には厳かに縄文杉が立っている。うねるように渦巻く縄文杉の幹は、道中に見たどの屋久杉とも異なる。

素人目には確認することはできないが、縄文杉には、江戸時代の試し切りの跡が残っているという。胸高周囲16.4メートル、樹高25.3メートルという巨木であるにもかかわらず、伐採を免れたのは、幹があまりにいびつであったからであろう。その後数百年、縄文杉の存在は人々の記憶から忘れ去られていたのである。

しかし昭和の時代に入って
「ハッジョヤマには十三人で抱えるような太か杉がある」
という言い伝えを信じ、山を歩き続けた男がいた。屋久町役場の岩川貞次氏である。そして7年の後、伝説の巨大杉は「発見」された。1966年5月のことである。岩川氏はこの異形な屋久杉に「大岩杉」と名づけた。

大岩杉が世間に広く知られるきっかけとなったのは、1967年元日のことである。南日本新聞一面に「生き続ける”縄文の春“、推定樹齢3000年以上、芽を出したのは縄文時代」と写真つきで紹介された。この後、大岩杉は「縄文杉」 として知られることになる。

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南日本新聞で樹齢3,000年と報道された縄文杉であるが、その樹齢については諸説ある。

最初に科学的な調査が試みられたのは1976年のことである。九州大学工学部真鍋大覚助教授が過去に伐採された屋久杉のデータと気候データなどをもとに算出したところによると、その樹齢は7,200年とされた。

1984年には林野庁の委託を受け、学習院大学理学部木越教授が樹齢調査を行っている。腐食している内部の木材を放射性炭素年代測定法を用いて測定したところによると、木材の年齢は1920±150年であるとの結果が出た。しかし縄文杉は内部が腐食し、空洞となっており、採取したサンプルの年齢をもって杉全体の樹齢とは言えない。あくまでも、少なくとも1,770年以上であるということしか言えないのである。

最近では、2005年12月に高さ10メートルほどのところから折れた縄文杉の枝を放射性炭素年代測定法と成長錐年代測定で調査している。枝といっても長さ4.2メートル、太さ80センチ、重さ1.2トンという巨大なサイズである。調査結果によると折れた根元の部分の年齢は900年前後であると判明した。しかしこの調査をもってしても、縄文杉の樹齢を確定的に指し示すことはできない。

樹齢の推定にあたって、もう一つ留意すべきは、6300年前に、現在の鹿児島湾あたりで発生した鬼界カルデラの噴火である。その際に鹿児島県の南半分は約10センチから1メートルの火山灰で覆われている。したがって、屋久島の杉はどんなに古くても6,300年を越えることはないと考えるのが自然であろう。


さらに杉の寿命は一般には500年であると言われている。屋久島に樹齢1,000年を越える杉が珍しくないのは、島の組成に理由がある。屋久島は花崗岩が隆起した島である。その岩盤の上に薄い膜のように花崗岩の風化土が覆っている。貧栄養状態にあり、かつ薄い表土に根ざすことになった屋久杉は、通常の杉よりも成長に時間がかかる。よって年輪が詰まり、硬質になるのである。加えて通常の杉の6倍もの量の樹脂が、屋久杉に腐敗に強く、虫のつかない特性を与え、通常の杉よりも長いいのちを与えているのである。

屋久島が6,300年前に火砕流に見舞われていること、採取しうる最も古いサンプルが1770年前のものであること、そして植物としての杉の寿命が元々は500年であるということを総合すると、実際の樹齢は2,000年を少し越えたくらいであると考えるのが妥当だろう。

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縄文杉の前面斜面は観光用に150坪にわたって伐採されている。しかしこの伐採によって、縄文杉が根を張る地面が直接風雨に洗われることになり、表土の流出が急速に進んだ。表土の流出を防ぐため、今では写真にあるような造作が整えられ、幹に近づくことはできなくなっている。にもかかわらず、2005年5月に縄文杉の樹皮が12箇所にわたって剥ぎ取られるという事件が発生している。


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雨に見舞われないことはないという縄文杉への道。今回は往復8時間、一滴も雨に降られることはなかった。雨が降って、道がぬかるめば、これだけの山道を往復したときの疲労は何倍にもなっただろう。

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by iyasaca | 2007-11-17 15:51 | 鹿児島 | Comments(0)

屋久島にいってみた その2

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屋久島に来たからには、あの縄文杉を一目でも見なければという思いで、何はともあれ、縄文杉に向かうことにした。一月ほど前に島を襲った台風の影響で道路の一部が崩落し、登山口までの一般車両の通行が制限されているということで、路線バスを使って荒川登山口に向かう。宿を取った屋久島南部、尾之間から登山口までは70分かかる。

登山口に直行するバスはなぜか存在しない。路線バスは全て、荒川分れという登山口へ10分ほどの場所までしか行かず、そこから登山口までは別のバスに乗り換えなければならない。登山口までのバスを待つ間、ふと荒川分れのバス停の脇を見ると、ログハウス風の休憩所がある。休憩所横の白い杭によれば、このログハウス風の休憩所は平成11年4月の建築であるとのことである。比較的新しい建築であるにもかかわらず、休憩所は崖下に向かって大きく傾いている。
よく見ると、休憩所の壁には
「危険のため、休憩施設の利用を禁止します」
とだけ貼り紙がしてある。丁寧に6箇所を画鋲でとめてある張り紙はまだ新しい。休憩所が傾きはじめたのは最近のことなのだろう。気になって、地面を見渡すと、この辺りは地盤が緩いのか、足元にもところどころ大きなひびが入っており、すでに崩れた跡もあった。左の写真のようにかなり派手に崩れている場所も一ヶ所や二ヶ所ではなかった。

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荒川登山口は縄文杉まで約9時間で往復できる最も人気のあるルートの起点である。上級者は、宮之浦岳を経由する別のルートもあるらしいが、そのためには本格的な登山の装備が必要で、また時間もかかる。

しばらく待つと登山口までのバスが来る。坂を10分ほど下るとそこは荒川登山口である。登山口入り口に群がる記念写真を撮る集団を横目に登山届を出して、すぐに縄文杉に向かって歩き出す。すでに日の出の時刻を過ぎており、かなり明るく、ヘッドライトは必要がなかった。

写真の通り、荒川登山口からは、森林軌道と呼ばれるトロッコ道が真っ直ぐに走っている。入り口横には救急車が待機している。リタイヤする登山客を運ぶために必ず毎日出番があるそうである。この日は、登山ガイドまで救急車で運ばれていったのである。

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これより先は、ひたすらトロッコの線路の上を歩き、第一のチェックポイントである小杉谷製品事業所跡を目指す。登山口からは50分の道のりである。
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by iyasaca | 2007-09-29 11:59 | 鹿児島 | Comments(0)


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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