勝手に僻地散歩



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修善寺温泉・新井旅館にいってみた その6

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<写真:振り返ると雪の棟>
新井旅館の文化財は他にもあり、そのひとつひとつを紹介していたらばきりがないのだが、新井旅館のエントリーの最後に、敷地の北西の端にある観音堂に足を運んでみた。

雪の棟の西端にある引き戸から名物の大欅を右手に見ながら石濤渓に出る。目当ての観音堂に向けては緩やかな坂道になっている。よく居酒屋にあるような底の丸いサンダルに履き替えなければならなかったので、バランスを取るのが難しい。足をくじきそうになるのに細心の注意を払いながら歩を進める。

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<写真:新井旅館 観音堂(昭和11年建築、登録有形文化財)>
天平大浴場と同じ台湾檜を用いたこの観音堂は1936年(昭和11)に建立されている。日本美術院初代理事長の安田靫彦画伯が、沐芳のために子々孫々の反映と旅館の繁栄の祈りを込めて設計したものである。そのつくりは同じく安田画伯が設計し、沐芳が資金援助した新潟県出雲崎の良寛堂(大正11)と似ているらしい。出雲崎は言うまでもなく、良寛生誕の地である。堂内には、安田靫彦画伯が選佛した1,200年前の木造聖観音菩薩像が安置されている。

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<写真:庭園内を見張る地蔵>
観音堂を後にし、旅館に戻る。
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<写真:大正ガラス。表面がやや波打っている。>
チェックアウトの直前に館内案内に参加した。500円である。新井旅館の文化財の維持補修に使われるとのことである。館内案内は新井旅館の歴史を写真パネルを使いながら、説明を受けるというスタイル。文豪が宿泊した部屋の中まで見せてくれれば、なお良かった。チェックアウト時には玄関に並べられた靴が温められているなど、細かな気遣いが見られるのは新井旅館ならではであろう。再訪するならば、やはり紅葉の季節かなと思いつつ、宿を後にした。
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by iyasaca | 2010-05-08 09:10 | 静岡 | Comments(0)

修善寺温泉・新井旅館にいってみた その5

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修善寺温泉は、5つの源泉が桂川の河床に湧出している。かつてはさらに多くの源泉があり、各旅館がそれぞれに引いていたり、馬を洗うための源泉などもあったようだが、現在では観光用に開放している一つを除いては、全て集中センターに湯を集めてから各旅館に提供するという形をとっている。したがって修善寺温泉のどの湯宿に泊まっても、アルカリ性単純泉を楽しむことができる。ただし掛け流しにしているか、循環にしているかは宿によって異なる。

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<写真:野天風呂木漏れ日の湯>
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<写真:貸切風呂 琵琶湖の湯>
新井旅館には天平風呂、あやめの湯、貸切風呂である琵琶湖の湯、野天風呂の木漏れ日の湯の4種類の浴場がある。宿の案内には「源泉掛け流し」とあるが、源泉温度が61.2度と高いため、温度調整のため湯量の調整(加水)がされている。つまり厳密には「掛け流し」の温泉である。加水のためか、お湯は透明度が高く、臭いもなく、体への負担も大きくない。ぬめりも少し感じるという程度である。

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<写真:天平大浴場>
天平大浴場は岩盤の上に檜の丸柱がいくつも立てられた荒々しい湯殿である。当初はビザンチン様式の浴場が計画されていたが、安田靫彦画伯が

「菖蒲御前入湯の歴史のあるところだから天平様式がよいのでは」

と3代目に掛け合った。

三代目寛太郎はすでに基礎工事に取り掛かっていたにもかかわらず、9歳年少の安田画伯の提案を受け入れ、設計図までできていた浴場案を天平様式に変更した。

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細かいところまで見てみると、あちこちに趣向が凝らされているのが分かる。天井中央部には安田靫彦デザインの大燈籠が吊るされ、屋根の鬼瓦は保田画伯の原画をもとに清水焼の名工に焼かせたものであり、基本の柱は、現在では入手が極めて困難な台湾阿里山の檜を用いている。また柱は高い湿度の中でも腐らないように、一本の柱には4つの芯去材を用いている。変形しやすい芯の部分を取り去った芯去材26本を用いたこの工法により湿度によって生じる歪みが最小限に抑えられるという。建造時から70年もたつが、柱は建造当時のままであるとのことである。湯に浸かるとちょうど目の高さの壁面がガラス張りになっている。芥川龍之介は「温泉だより」の中で、「温泉に入っていると水族館にいるようだ」と書いているが、たしかに時折、鯉がすっと横切る姿が見える。ガラスは時間の経過とともにくすみ、またそれがよい景色となっているのであるが、完成直後はまさに水族館そのものであっただろう。

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これだけの趣向が凝らされているためであろう、この浴場建設には毎日大工20名、石工5名、、木曳5名が総がかりで、1931年(昭和6)3月の着工から1934年(昭和9)7月の落成式まで3年もの歳月が費やされている。

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着替えの場所から階段を下るとここにも玄関に見られるのと同じような大きな岩がある。手前の部分は元々この場所にあった岩で、柱の基礎となっている柱石は天城のあたりから持ってきたものである。この巨岩は人夫20名がかりで運ばれたもので、一日に5寸(15センチ)しか動かせなかった日もあったという。浴槽の淵には伊豆石が使われている。

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この浴場の何よりも最も味わい深いところはシャワーや蛇口がないことである。あるのはお湯と水が入った小さな槽である。ここでお湯と水を適量交ぜながら温度調整をして、上がり湯として使う。

一部の利用客のなかに、「シャワーがなくて困った。設置して欲しい」との声があると聞いた。シャワーが設置されたら、天平風呂は魅力が半減どころか、存在価値を失うと思う。丁寧に置いてある「水」、「湯」の小さな案内板も余計であると思っているくらいである。そのような無粋な声にはにこやかに対応していただきたい。
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by iyasaca | 2010-05-01 09:02 | 静岡 | Comments(0)


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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