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四万温泉にいってみた その2

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四万温泉は、43ヶ所の源泉が、41の宿と5ヶ所の共同浴場に湯を供給している。この源泉のうち40カ所が自然湧出で、残りの3箇所も堀削深度は100m~300mと浅い。湧出量はすべて合わせると毎分3,500リットル、平均PHは7.7。成分はカルシウム・ナトリウムー塩化物・硫酸塩泉である。

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<写真:塩之湯飲泉所。町のあちこちに飲泉所がある>
湯は、熱いまま飲むと下痢症に、冷やして飲むと便秘症に効果があると言われており、口に含むと焦げたような匂いと粉っぽさが混じったいわゆる「石膏味」がする。飲泉所は3ヶ所ある。

大規模開発を免れた四万は往年の湯治場の雰囲気がよく残っており、多くの歌人・文人は、その町並みと高い泉質を愛した。昭和29年には青森県の酸ヶ湯、栃木県の日光湯元温泉とともに、日本最初の国民保養温泉地に指定されている。
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by iyasaca | 2009-12-26 22:46 | 群馬 | Comments(0)

四万温泉にいってみた

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<写真:四万温泉落合通り。昭和の匂いがする>
四万の病に効能を持つ四万(しま)温泉。草津、伊香保とともに「上州三名湯」に並び称せられ、また峨々温泉(宮城)、湯平温泉(大分)とともに「日本三大胃腸病の名湯」として世に広く知られている。呼称は時代によって、『四万村湯』、『四万の湯』、『四万村温泉』と変遷を続けてきた。
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<写真:御夢想之湯の外観>現在の四万温泉は、日向見(ひなたみ)、ゆずり葉、新湯(あらゆ)、山口、温泉口の5つの地区からなる。一番奥にある日向見が最も歴史があるとされている。日向見には、永延3(989)年源頼光の家臣・日向守碓氷(井)貞光がこの地に立ち寄った際、夢枕に立った童子に「汝が読経の誠心に感じて四万の病悩を治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり」との神託を受け、目覚めた早朝に発見したと伝えられている小さな湯処がある。共同浴場『御夢想之湯』として知られるその湯処は、2,3人も入れば一杯になってしまうくらいの大きさである。

永禄6(1563)年、四万温泉に最初の湯宿を開いたのは、田村甚五郎清正であると伝えられている。田村甚五郎清正は、武田(信玄)方、真田幸隆の猛攻を受け、居城岩櫃城を奪われた斉藤憲広が越後へ逃れるにあたり、四万山中で殿(しんがり)の一翼を務めた武将である。田村は追っ手を防ぎ、首尾良くその任を果たしたが、なぜか報賞を求めることなく、そのまま四万山中にとどまり、帰農して湯宿を開いたのだという。四万温泉が誇る高級旅館「四万たむら」は、田村甚五郎清正から3代目の彦左衛門が分家して開業した宿である。

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四万に魅入られた戦国武将はほかにもいる。上杉憲政である。上杉憲政は16世紀半ばには、北条氏康に居城平井城を奪われ、家督と関東管領職を上杉謙信に禅譲した戦国武将である。憲政は平素から四万を愛し、その利用の記録が残っているが、謙信が没した翌1579年、家督相続をめぐる一連の騒動のなか殺される。しかし上野国から越後へ逃れる、いわば生きるか死ぬかの逃亡劇のさなかにもわざわざ四万温泉に立ち寄っている。

上杉氏と北条氏との争いの舞台になることが多かった四万は、その後荒廃が進んだ。その温泉宿の再興に力を尽くしたのは、真田一族であった。真田昌幸・信之父子は、四万温泉周辺の道路や橋梁の修復・整備に尽力し、また宿と湯守も配置した。幕末から明治にかけては火災や榛名山の噴火などの天災にさらされ、寂れてしまったようだが、昭和29年の国民保養温泉の指定を受け、再興を果たし、現在に至る。
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by iyasaca | 2009-12-19 22:37 | 群馬 | Comments(0)


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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