勝手に僻地散歩



ブラジリアにいってみた その2

f0008679_1552356.jpg
<写真:大統領官邸前の儀仗兵>
ブラジリアは、西暦2000年に人口60万人という想定のもとに、小さな集落のほか、何もなかったセラードの土地に極めて短い期間に建設された人口都市である。建設当時の様子はこちらに詳しい。

f0008679_15522228.jpg

f0008679_15521147.jpg

f0008679_15522541.jpg
<写真:大統領官邸周辺の様子>
この大統領官邸もニーマイヤーの作品である。

f0008679_15524297.jpg
f0008679_15524018.jpg

建物だけでなく、都市そのものがすべて計画され尽くされている。
f0008679_15524534.jpg

<写真:ブラジル国民会議議事堂>
ブラジル国民会議議事堂(National Congress)もニーマイヤーの作品である。左のお椀をかぶせたような屋根の方が上院、右のお皿のような屋根が下院。あらゆる思想に開かれている下院の役割と機能と、その閉じられた空間が思慮と叡智によって支配されるべき上院という両院の姿が体現されているという。

ブラジリアの人口は300万人を超えた。設計者の当初の想定を超え、今もこの未来都市は発展を続けている。
[PR]
# by iyasaca | 2015-03-28 15:49 | ブラジル連邦共和国 | Comments(0)

ブラジリアにいってみた その1 - ブラジリア・メトロポリタン大聖堂

f0008679_115095.jpg
セラードに建設された人工都市、ブラジリア。ブラジルが誇る建築家、オスカー・ニーマイヤーの「自由な曲線」を存分に堪能できるブラジルの首都である。

ブラジリアに数多あるニーマイヤーの建築でも出色なのは、イタラマチ宮殿近くにあるブラジリア・メトロポリタン大聖堂である。入り口にはイタリア人彫刻家アルフレド・セシアティ(Alfredo Ceschiatti)の作であるマタイ(Matthew)、マルコ(Mark)、ルカ(Luke)、ヨハネ(John)の福音書記者の巨像が4体並んでいる。
f0008679_1285283.jpg
大聖堂は外形からは教会であることが分からないほどニーマイヤーの思想に包み込まれている。円錐状の外壁表面には、ステンドグラスが全面に施されており、16本の柱が寄り添うように曲線を描いている。建物の周辺には水が張られており、気化熱による自然換気で夏でも空調が必要ない設計となっている。
f0008679_11491298.jpg
f0008679_11492021.jpg
入口は緩やかな下り坂になっていて、その先にステンドグラスを通じて差し込む柔らかい光の空間が広がる。外から見える円錐部分は大聖堂の屋根だったのである。頭上の空間には、これもまたセシアティの手による天使が飛び交っている。
f0008679_11493016.jpg
f0008679_11491649.jpg
内部に薄暗さはない。訪れるローマ・カトリックの信者は、白、青、緑のステンドグラスを介して注がれる光の作り出す優美な空間で、祈りを捧げることができる。この大聖堂に類する聖なる空間は他に存在しない。
「建築とは、驚きを発明することだ」
とはニーマイヤーの言である。
f0008679_11492740.jpg
f0008679_11492338.jpg
<写真:聖堂内のところどころに配された彫像>
ニーマイヤーは長命した。1950年代後半に、ブラジリア建設に携わった後も、長く活動し、多くの作品を残している。それらの業績が認められ、2004年、96歳のときに高松宮殿下記念世界文化賞の建築部門賞を受賞している。104歳で没したのは2012年のことであった。


[PR]
# by iyasaca | 2015-03-21 00:00 | ブラジル連邦共和国 | Comments(0)

旧三菱銀行佐原支店本館にいってみた

f0008679_13395.jpg
水郷の町、佐原を訪ねる。

歴史のある町であるが、最も栄えたのは江戸時代である。江戸後期の医師赤松宗旦が1855年(安政5)に著した利根川中・上流の地誌である「利根川図志」の第五巻、「佐原川」の項の中でこう紹介している。

「佐原ハ下利根附茅(ママ)一繁昌の地なり。村の中程に川有て、新宿本宿の間に橋を架す(大橋云)。米穀諸荷物の揚さげ、旅人の舩川口より此処まで先をあらそひ両岸の狭きをうらみ、誠に水陸往来群集昼夜止む時なし」
(赤松宗旦(1855) 『利根川図志』 第五巻 丗三ノ四、山田屋佐助。 埼玉県立図書館所蔵)
往時の喧噪ぶりをよく表現している。
f0008679_1335269.jpg

f0008679_1335958.jpg
正面に見える木造の橋梁は樋橋(とよはし)である。今はコンクリート製となったこの橋は、江戸の初期に佐原村の灌漑用水を東岸から西岸に送るため、木製の大きな樋(とい)をつくり、小野川に架けられたことがそもそもの縁起である。その目的から当初は人が渡ることを想定していなかったが、後に大きな樋を箱形につくり、そこに丸太の手すりを付け、板を敷いて、人が渡れるようになった。大きな樋から小野川にジャージャーと水が流れ落ちていたので、別名ジャージャー橋とも呼ばれていた。写真で言うと橋の中央部少し黒く見える場所から水が流れ落ちるのである。現在の橋は平成4年に建て替えられているものである。
f0008679_1323752.jpg

この水運の町は戦後のモータリゼーションの進行とともに、ゆるやかに鄙びていったが、美しい街並みは残った。
f0008679_10581276.jpg

さてこれが本日の目当ての旧三菱銀行佐原支店旧本館(佐原三菱館)である。ルネッサンス様式の赤煉瓦造りの洋館に使われているこのレンガは英国から輸入されたものである。正面右隅のドーム状の屋根が特徴的なこの2階建ての洋館は1914年(大正3)、清水満之助商店(後の清水建設)の設計施工で川崎銀行佐原支店として建設された。川崎銀行は1943年に三菱銀行に吸収され、戦後は長く三菱銀行佐原支店として佐原の町の中心で金融サービスを提供した後、1989年佐原市に寄贈された。1991年に千葉県有形文化財に指定されている。
[PR]
# by iyasaca | 2015-03-14 00:00 | 千葉 | Comments(0)


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
検索
最新のコメント
以前の記事
カテゴリ
タグ
ブログパーツ
記事ランキング
ブログジャンル