勝手に僻地散歩



カテゴリ:カンボジア王国( 3 )


クラチエにいってみた その2

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<写真:クラチエの街並み>
この僻地とも言えるクラチエにも日本人の足跡がある。70年ほど前のことである。日本はヴィシー政権との協定に基づき、仏領インドシナに印度支那駐留軍を進駐させ、フランス軍と共同警備にあたっていた。ここクラチエにも、独立混成第70旅団の独立歩兵第428大隊(大隊長:柴田一大佐)の一部が仏印軍とともに治安維持にあたっていた。

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<写真:クラチエの小学校。ぼろぼろだ>
1945年3月9日第38軍(前年末に印度支那駐留軍より再編された)は、仏領インドシナからフランスを武力での放逐に動き出す。明号作戦である。第38軍第2師団歩兵第29連隊(連隊長:三宅?三郎大佐)の主力であった第3大隊(大隊長:藤木隆太郎大尉)は、クラチエとその北部にある拠点ストントレン(Stung Treng)を攻撃・制圧し、その後スヌール、ローランド方面に展開した。翌10日午後には仏印軍の武装解除が完了している、まさに電撃作戦であった。さらに山深い拠点の制圧までが第二期、三期作戦として、作戦計画に含まれていたため、明号作戦の終了は5月15日までかかっている。作戦終了後、独立混成第70旅団は第29軍の指揮下に入り、マレー作戦に転進している。

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<写真:クラチエの市場の店番たち>
クラチエは、今では州の住民の8割ほどがゴムやカシューナッツなどの栽培で生計を立てている川沿いの穏やかな集落となっているが、将来的にはさらに発展する可能性もある。2008年3月に銅・亜鉛の共同探鉱を豪州サザンゴールド社とJOGMEGが開始しているのである。この辺りは1980年代にフランス政府が広域調査を行ったのみで本格調査はまだ行われておらず、既存の鉱山もない。このたび探索している区域は、メコン川から東に60キロから100キロほどの森林の中にあるクラチエ北部と南部にある3つの鉱区である。掘り当てることができればJOGMEGが51%の権益を獲得できる契約になっているらしい。

この地下資源開発は環境汚染という新たな課題を抱えることになるが、住民の3割が1日1ドル以下の収入しかないというクラチエにとっては、貧困から脱出するまたとない機会に映っているだろう。そうなれば、フルーツや肉などの地元の食材やお土産もののようなものが売られている現在の素朴な市場も大きく変貌する可能性があるのかもしれない。
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by iyasaca | 2010-06-05 22:39 | カンボジア王国 | Comments(0)

クラチエにいってみた その1

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<写真:乗船した船。屋根に荷物を載せるたびに転覆しそうになる>
プノンペンから北東に約200キロ、カンボジア東部のメコン川沿いの集落、クラチエ( Kratie) に来ている。プノンペンからは高速船で5時間ほどの距離である。いまは道路が良くなったため、プノンペンからクラチエへは陸路を使うのが一般的のようだ。

この船は曲者で、ご覧の通り出入口が前方左右に一箇所しかない。非常口もない。長さは20メートルほどなので、後方座席に陣取ってしまえば、船が転覆し、浸水したら助かる見込みはない。船は寄港するたびに屋根に荷物を載せる。載せるたびに船は大きく傾き、ひっくり返りそうになる。載せる方はいい気なもので投げるように荷物を積載していく。こちらは船が大きく傾くたびに肝を冷やしていたが、明らかに定員オーバーの船内は移動するのに人の頭を乗り越え、荷物を踏んでいかなければ前に進めない状況である。とりあえず荷物の積み下ろしのときだけでも出入口近くに移動しようと思ったが、周りの現地人は全く気にしていない。そのうちに荷物が積み終わり、出港する。寄港を何度か繰り返すうちに移動するのは諦めた。船内に設置してあるテレビからはなぜか少林サッカーのVCDが流れていた。シュールすぎる。

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<写真:道路はぬかるむと大変、たまに不発弾が泳いでいるらしい>
近年クラチエには、希少なカワイルカ(イラワジイルカ)目当てに訪れる観光客が増えている。かつてイラワジイルカは、メコン川流域とカンボジアのトンレサップ湖に数千頭ほど生息していたと考えられているが、世界自然保護基金(WWF)の報告によれば、現在の生息数は64-76頭。最近ではラオス南部では見ることができない。

体長3メートルほどであるとはいえ、メコン川の流域面積の広さを考えると、出会うのは難しそうだ。しかし生息域がクラチエから上流に向かって190キロほどの範囲であること、さらに乾季(11月~4月)には、イルカが遊泳できる川の区域がさらに狭くなる(イルカが餌をとるには水深40-50メートルは必要らしい)ため、高い確率で見ることができるようである。しかし私は一頭も目にすることができなかった。以前ホエールウォッチングに行ったことがったが、グループの中で一人だけ鯨を見ることができなかった。おそらく水生哺乳類には縁がないのだろう。

クラチエには「水浴びしていた村の娘がイルカになった」という伝説があり、現地の人はイルカをむやみに捕獲しない。にもかかわらず、イラワジイルカの生息数の減少は顕著であり、2004年には絶滅危惧種に指定されている。

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<写真:不発弾はどこにでも落ちている。上の写真にも不発弾が写っている>
その理由はいくつか指摘されている。まず減少のきっかけとなったのはベトナム戦争であると考えられている。特にホーチミン・ルートを遮断するために米軍が展開したメニュー作戦(Operation Menu)では、クラチエ周辺も激烈な空爆を受けている。爆弾投下跡が池になっているところも多く、不発弾や地雷などが今でもそこここに転がっている。あわせて、多くの奇形児を生んだ悪名高き「オレンジ・エージェント」と呼ばれる枯葉剤が大量に川に流れ込み、またその後も上流で工業・農業排水の流入による水質汚染が進んでいる。近年のWWFの調査によれば、死んだイルカの皮下脂肪からは高濃度のDDTやPCB(ポリ塩化ビフェニール)、肝臓からは高濃度の水銀が検出されている。また戦争後も、住民が手っ取り早く魚を捕るため、大量に残された爆発物を使ったため、イルカが巻き添えとなって犠牲になるケースも少なくなかったという。個体数の少なさから生じる近親交配による遺伝疾患も認められ、生まれた直後に死ぬケースも多いようだ。

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<写真:こんな子どもたちにもヒ素の影響が>
水質に関して言えば、クラチエ周辺はヒ素汚染地域でもある。新潟大学が実施した調査によると、クラチエのヒ素含有率は平均で59.6マイクログラム/Lとある。WHOの飲料水質基準と日本の水道水質基準はともに10マイクログラム/Lであることを考えるとクラチエの数値は6倍である。実際に住民の髪の毛からも高濃度のヒ素が検出されている。
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by iyasaca | 2010-05-29 22:38 | カンボジア王国 | Comments(0)

ラタナキリにいってみた

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北をラオス、東はベトナムに接するカンボジア北東部の丘陵地にある州、ラタナキリ(Ratanakiri)にいってみた。クメール語で「宝の山」を意味する標高500メートルほどのこの丘陵地には、ジャライ族(Jarai)、クルン族(Kreung)、ラオ族(Lao)、タンプーン族(TumPoun)、など大きく分けて7つの少数民族、約10万人が居住している。州都バンルン(Bong Long)から北西50キロほどのセサン川(Se San)周辺には中国国民党の残党が作った村落が、北東部には多くの野生動物が生息するカンボジア最大の国立公園ヴィラチェ(Virachay)が広がる。さらには、7万年前の火山活動でできたヤクロム湖(Yeak Laom Volcanic Lake)などラタナキリは手つかずの自然に恵まれている。


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ラタナキリで忘れてならないのはラタナキリ・ブルーと呼ばれるブルー・ジルコンである。ボケオ(Bokeo Mines)にあるジルコン鉱山では、方々に掘られた穴に水が注ぎ込まれ、作業に従事する人たちは大きなザルのようなものを手に一日中泥をすくっている。宝石は熱処理を加えると、緑がかった青色に輝く。しかし原石は茶褐色で、素人目には宝石なのか、泥まみれのただの石なのか区別がつかない。



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ラタナキリに住む少数民族の7割が焼畑農業で生計を立てており、雨季と乾季で移動を繰り返しつつ、カシューナッツ、とうもろこし、バナナなどを栽培している。しかし、1960年代に始まったゴム農園、コーヒー、カシューナッツなどの大規模な農場開発、そして1993年の民主化後には、低地クメール人による幹線道路沿い、市場周辺の土地の買い漁りや外国企業による森林伐採権の獲得などによる土地の私有化が進み、森林は次々と開発され、ラタナキリの森林面積は大いに減少した。1家族あたり5ヘクタールの土地を私有することになると、計算上ラタナキリの森林は消滅する。



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少数民族にとって、森林は神々の時代から受け継いできた民の共有財産であるのみならず、精霊の棲家でもある。特に聖域として焼畑用の森林と区別されている山深い森林では、伐採行為や狩りはもちろん、森の中で大声を出したり、冗談を言ったりして歩くことすら精霊の怒りを買う行為として信じられている。少数民族は、自然環境の変化、人口構成の変化に応じて、柔軟に移動を続けてきた。しかし、伝統的に少数民族が共同で所有していた森林にまで土地の私有が進み、かつてのような自由な移動が困難になっている。さらに土地の私有という新しい概念は少数民族に個人主義を持ち込んだ。このことがさらに共同体の弱体化を進めているという。


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ラタナキリに住む多くの民族は、中央のクメール文化から隔絶しているが、それがゆえにクメール語を解さない者も多い。大学など高等教育機関への進学の機会は、クメール語を使う公教育のルートの中でしか提供できないという現実は、ラタナキリに住む少数民族にとっては、大きなジレンマである。自らの言語、文化、慣習の維持と次の世代を担う子供たちへの機会提供の両立に向けて少数民族の直面する課題は大きい。


<ラタナキリ関連リンク>
@ザ・ワールド
おそらくラタナキリに関する情報については、ここが一番充実しています。ラタナキリにいってみようと思う人は必見。

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by iyasaca | 2006-03-06 23:17 | カンボジア王国 | Comments(4)


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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