勝手に僻地散歩



カテゴリ:東京都豊島区( 6 )


自由学園明日館にいってみた その6

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この旧目白の校舎は1934年まで使われていたが、その後教育機能は南澤(現在の東久留米市)に遷された。生徒のいなくなった明日館は卒業生の事業活動などに利用されてきたが、1997年5月、その歴史的、芸術的価値が認められ、重要文化財に登録された。1999年3月から2001年9月にかけては保存修理工事が行われた。この修理の際に中央ホール西側の塗り固められた壁の下から壁画が発見された。

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<写真:改修時に見つかった壁画。冩っちゃったひと、ごめんなさい。この角度が良かったもので>
自由学園校歌にある旧約聖書出エジプト記の「見よ、火の柱、雲の柱」の一節をモチーフにしたこの壁画は、創立10周年記念として、当時の自由学園の美術教師で美術家でもあった石井鶴三の指導のもと、生徒たちの手によって描かれた。

明日館講堂を見学して、そろそろ帰ろうかと思っていたところ、入り口付近に人の塊があった。時計を見るとちょうど14時。この時間は明日館の職員によるガイドツアーがある。これはと思い、再度解説付きで館内見学をした。解説なしには気づかずに通り過ぎてしまうところにも丁寧な解説がある。ガイドツアーの時間に合わせての訪問を強くおすすめする。
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by iyasaca | 2010-08-21 00:03 | 東京都豊島区 | Comments(0)

自由学園明日館にいってみた その5

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中央棟を後にして、西側に並ぶドマーニ、マニャーナと呼ばれる小教室を右に見ながら、敷地出口の方向に向かう。道路を挟んで南側には明日館講堂が建っている。この講堂は、全校生徒が集まる場として中央ホールが手狭になったことから、第5回本科卒業生の父母が提案し、1927年6月テニスコートだったこの敷地に建設されたものである。

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最大着席人数272名の講堂は遠藤新の設計である。二階にも銀杏の間と言われるスペースがある。1989年9月には外庇や玄関、水切、建具の大規模修繕が行われている。現在は講演会や演奏会などに時間単位で貸出をしているそうである。回し者ではないが、ご関心の方はこちらから
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by iyasaca | 2010-08-14 09:13 | 東京都豊島区 | Comments(0)

自由学園明日館にいってみた その4

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ホールの裏手に向かって短い階段を登ったところには食堂がある。天井の高い食堂のメインフロアには、これまたライト設計の照明が配してある。食堂の空間に彩りを加えているV字型の照明の吊子は、設計図にはなかったが、工事着工後に現場を訪れたライトが「天井が高すぎる」とその日のうちに吊子を設計したと伝えられている。

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<写真下:増築された食堂スペース>
「家庭的雰囲気の中で子供たちにのびのびとした教育を与えたい」という羽仁は、現代で言う食育の重要性を認識していた。とりわけ食事は生徒自身が調理し、全員揃って食べることにこだわったため、生徒が増え、手狭になると迷わず食堂を増築した。食堂の北、西、東に張り出している小部屋は、遠藤が1923年から24年にかけて増築した部分である。

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<写真:食堂に続く階段>
食堂の隣、階段を下った場所には機械が立ち並ぶ空間もある。ここはかつては厨房で、当時は階段に生徒が列を作り、当番の学生が調理した昼食をバケツリレーのように食堂まで運んでいた。

それにしてもこのような空間で毎日食事をしていた子どもたちが何よりも羨ましい。
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by iyasaca | 2010-08-07 09:24 | 東京都豊島区 | Comments(0)

自由学園明日館にいってみた その3

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明日館の内部に入ってみる。

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教室に照明が設置されたのは、学校が東久留米に移転した後のことである。学生は、自然光のもとで授業を受けていた。写真に見られるように窓が大きく、十分な採光がとられている。授業を行うに全く影響はなかったであろう。

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建物の中央に向かう。廊下に敷き詰められているのも大谷石である。

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廊下を抜けると、天井の高い中央ホールに到達する。正面奥には壁画、右に目を移せば暖炉、そして上を見上げれば張り出したスペースに中二階が見える。中二階にはライトの功績の説明や旧帝国ホテル関係の展示品が並んでいる。

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ここで印象的なのは立ち並ぶ六角形の椅子である。中央ホールに並ぶこの六角形の椅子はライトと遠藤の共同設計によると伝えられている。いくつかの椅子は壊れてしまったらしいが、当時のままに残る椅子もいくつか残っている。

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六角形の背もたれに、くすんだ赤と、緑と青の中間色のような座部からなる椅子は幾何学的な空間によく調和している。古いものと見分けるコツは座布を固定するビスなのだそうだ。

ところで建築家にとって椅子のデザインというのはストレス発散になるらしい。多くの関係者や予算上の制約などが絡み、なかなかデザイン通りに施工できない建物と違って、椅子はコストも時間もかからないため、自らの建築思想をダイレクトに、妥協を排して投影することができるからである。この椅子もデザイナーの思いが凝縮して投影されているようで面白い。

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この中央ホールには暖炉もある。飾りではないそうだ。しかし建造物そのものが重要文化財に指定されているため、使用にあたっては許可申請が必要らしい。それでも限られた機会において暖炉に火がくべられることがある。その証拠にすすが黒く残っている。
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by iyasaca | 2010-07-31 00:16 | 東京都豊島区 | Comments(0)

自由学園明日館にいってみた その2

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<写真:このランプもライトの設計>
自由学園明日館の外形は幾何学的で、中央のホールを中心に、左右対称に教室棟が配置されている。中央棟と正面から向かって左側の教室棟はライトの手によるもの、右側の教室棟については、ライト離日後、遠藤新が設計を行った。自由学園がライトと遠藤の共同設計と言われる所以はそこにある。

明日館の敷地入口横の案内板には黒字で、
「ウィスコンシンの大草原を舞台としてライトが発想した草原住宅のたたずまいが特徴」
とある。

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確かに大きな窓、天井からの採光が演出する開放的な空間は、ライトの設計思想の礎である建物と自然の共生を体現している。教室の床も地面と同じ高さとすることで内外の一体感を表しているのも特徴の一つである。しかし、地面と床を同じ高さに仕立てたライトのデザインは、米国と異なり湿度の高い日本には合っておらず、建物の劣化が速いスピードで進む原因ともなった。

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<写真:中央棟前の大谷石による敷石。かなり摩耗している>
敷地の入口から建物へは石畳が敷き詰められている。この石はもちろんライトが好んだ旧帝国ホテルにも用いた大谷石である。大谷石は造形が容易であるものの耐久性に劣る。風雨にさらされた建物正面部分の敷石はかなり摩耗している。

ライトの意匠は建物だけにとどまらない。建物内の細かな調度品の設計も行っている。明日館の内部に入ってみる。
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by iyasaca | 2010-07-17 00:14 | 東京都豊島区 | Comments(0)

自由学園明日館にいってみた その1

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池袋の駅から西に少し入ると、駅前の喧騒が嘘のように静かな住宅地が広がっている。その住宅地に、20世紀初頭に活躍した世界的な建築家フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)の作品が残されている。自由学園明日館(みょうにちかん)である。

自由学園は、クリスチャンである羽仁吉一、もと子夫婦が1921年4月15日に高等女学園として創立した学校である。学校名の由来は、ヨハネによる福音書8章32節にある「真理はあなたたちを自由にする」にある。自由学園最初の入学式の際には、まだ工事が完了しておらず、教室は「荒壁が残り木部の塗装もされていなかった」状態であった。中央棟が完成したのは1年後のことである。

後に幼稚園から大学まで一貫教育を行う学校となった自由学園は、大正デモクラシーの隆盛を背景に、1920年代から30年代初頭にかけて一世を風靡した大正自由教育運動の影響を色濃く受けている。教育改造運動・新教育運動とも言われたこの運動は、詰め込みや画一教育を否定し、子供の関心や感動を中心に自由で生き生きとした教育体験の創造を目指していた。自由学園の生徒は、校内の維持管理や昼食の調理を自らの手で行うなど、従前の教育機関から一線を画する「自労自治の精神」に基づく独自の教育スタイルを採り入れている。ちなみにオノ・ヨーコや坂本龍一は自由学園の幼稚園(自由学園では幼児生活団と呼ぶ)出身である。

f0008679_0275117.jpg折から帝国ホテル設計のため訪日中だったライトは、助手の遠藤新を介して自由学園の教育理念を知ったと思われる。羽仁夫婦の友人でもあった遠藤新は、ライトと羽仁夫婦を引きあわせている。その教育理念に強く共感したライトは、自由学園の校舎の設計を引き受ける。「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」という羽仁夫婦の思いをもとにライトが設計した自由学園の工事は1921年1月に着工、校舎群が完成したのは1927年のことである。1934年に自由学園は東久留米市に移転したが、ライトの残した旧目白の校舎群は後に重要文化財に指定され、今は一般公開されている。
<写真:フランク・ロイド・ライト、Portrait photograph of Frank Lloyd Wright, Library of Congress, 1954, Public Domain>
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by iyasaca | 2010-07-10 23:20 | 東京都豊島区 | Comments(0)


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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