勝手に僻地散歩



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関之尾の甌穴にいってみた

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関之尾の甌穴にいってみた。

霧島山系を水源に持つ大淀川支流の庄内川中流、関之尾の滝は、幅18メートル、落差40メートル、水量も豊富な堂々たる瀑布である。この滝の横には小さな滝がもう二つある。それぞれ男滝(おだき)、女滝(めだき)という。男滝は、北前用水路の余水吐きとして、女滝は取水口としてそれぞれ明治時代に岩を掘って作られた人工の滝である。

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関之尾にある三つの用水路は、庄内川流域に1,900ヘクタールの水田を開いた。三つの用水路のうち最も古い時代に作られたのは南前用水路で17世紀にまで遡る。1685年(前貞享2年)島津久理の命により、滝の上流300メートルから西側の岩盤をくりぬいてつくった。オノとノミによる作業で、機械は用いず、それゆえに難工事となった。この南前用水路は平成12年に当時の石積水路が復元され、当時の様子を現代に伝えている。

1889年(明治22年)にできたのが北前用水路である。地元の篤志家坂元源兵衛(1840~1916)がその任にあたった。北前用水路の水量が多いときには男滝として、不要な水量を排出し、さらに高低差のある部分では滝のように水を落とし、下で受け止める用水路を作った。この水の落ちる部分が女滝と呼ばれている。

さらに1901年(明治34年)に前田用水路が同じく坂元源兵衛の手によって作られた。しかし前田用水路が完成するまでは、農商務政務次官の経歴を持つ前田正名(まえだ・まさな)との間に工事の方針などをめぐって軋轢があったという。坂元は現金5,000円と用水路によって新たにできる田八町歩を譲り受けるという条件のもとに用水路工事を譲渡し、アドバイザー的役割に専念することになった。坂元は用水路が完成しなければ、約束の田を手にできないこともあり、工事譲渡後も用水路づくりに積極的に関わった。前田からの5,000円のかなりの部分を工事につぎ込んだという。結果、前田用水路は工期3年、工事費9万円という東京の技師の見立てを覆し、工期5ヶ月、工事費6,000円で完成した。しかし坂元は、用水路完成後も約束の田八町歩を得ることはできなかったと言う。


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用水路脇に簡素なつくりの神社がある。川上神社である。全長12キロの南前水路建設を命じた島津久理、500ヘクタールもの開田を可能にした北前水路建設の責任者である坂元源兵衛、そして全長14キロの前田用水路の建設責任者である前田正名を祭神とする神社が昭和37年関係有志によって建立され、彼らの功績を静かに伝えている。




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さて関之尾の滝上流には、世界的にも珍しいという甌穴(おうけつ)群がある。手元にある国語辞典によると甌穴とは「河床の岩盤にできる円筒形の穴。岩の窪みや割れ目に小石が入り込み、回転して深く削られたもの」とある。関之尾に形成された甌穴群は、約11万年前(第四紀)に姶良火山から噴出した溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)からなる河床が、霧島に水源を持つ河水に洗われ形成されたものである。甌穴群は、600メートルにわたり、その数は数千とも言われている。甌穴は最大のもので3メートルにもなる。


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岩盤を河床とする急流は珍しい存在ではない。この一帯にだけなぜ甌穴がこれほどの数、形成されたのかはいかにも不思議である。河床の溶結凝灰岩が特別に水に浸食されやすいのかもしれない。

この世界に例のない奇観は昭和3年2月18日、「甌穴成生ノ種々ナル階段ヲ示スモノアリテ玻璃質霧島熔岩ノ上ヲ流ルヽ溝口川ノ河床ニ生ジ長サ約五百米ノ間ニ其ノ数千ヲ算スルヲ得ヘシ斯クノ如ク一個處ニ多数ノ甌穴ノ群集スルハ他ニ其ノ類例ヲ見ズ浸蝕ニ関スル現象ノ天然紀念物トシテ最モ顕著ナルモノナリ」とされ、国の天然記念物にも指定されている。
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by iyasaca | 2007-09-08 23:37 | 宮崎 | Comments(0)


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