勝手に僻地散歩



カブールにいってみた その3

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オマル師とタリバンについてもう少し続ける。

土地を持たない貧しい農家に生まれたオマル師は、幼い頃(1965年)に父を亡くし、叔父のマドラサで学びつつ、家族を支えてきたとされている。長ずるとネク・モハメッド率いるムジャヒディーンの一派(Harakat-i Inqilab-i Islami派)に参加し、ソ連軍と戦った。1989年のジャララバードの戦いでは額と顎など4度も重傷を負い、右目を失った。負傷したオマル師はパキスタン国境近くの赤十字の施設で目の手術を行ったとの話もある。

その後オマル師の足取りは確かではないが、パキスタン・クエッタの宗教学校で教鞭をとりつつ、イスラム教の研究を行ったとされている。その後故郷のカンダハール近くの小さな宗教学校でイスラム宗教指導者となったとされている。多くのムジャヒディーンと異なり、オマル師はそこそこのアラビア語を話す。彼の経歴を考えると、アラビア語を学んだのはこの空白の時期のことなのだろう。


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タリバンとしての最初の活動は1994年7月と言われている。約30名のタリバン兵が16丁のライフル銃を手に地元を牛耳る軍閥の基地を襲撃し二人の少女を救出する。見返りを求めない姿勢が住民の共感を呼び、次第に支持を広げていく。その後タリバンの思想と行動に賛同したパキスタンの宗教学校の生徒、元ムジャヒディン、アラブ・イスラム諸国からの義勇兵などが加わり、1994年11月にはカンダハール、1995年9月にはヘラート、1996年9月26日にカブールを、そして1998年にはアフガニスタンの国土の9割を勢力下に置くほどにまでなった。この全土掌握作戦に対し、タリバンは、パキスタン情報機関やオサマ・ビン・ラディンの支援を受けていたとも言われている。またタリバンは否定しているが、ビン・ラディンの長女をオマル師が妻として迎え、またオマル師の娘の一人がビンラディンの4人目の妻となっているとも言われている。

政権を取ってからもオマル師は、カンダハールの邸宅を離れることはなく、外国人と会うことはほとんどなかった。非イスラム教徒と会ったのは、1998年8月のケニヤとタンザニアの米国大使館爆破事件の首謀者とされたビンラディン引渡しのために交渉に訪れた国連のアフガニスタン担当特別代表(1998年10月)と国連による制裁回避を工作するため2000年12月12日にLu Shulin駐パキスタン中国大使と会っただけである。

タリバン政権が次々と打ち出したコーランの教えに忠実な政策は、少なくとも国際社会には受け入れられなかった。そのことは5年間も政権の座にあったにもかかわらず、国交を樹立できたのはパキスタン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の3カ国だけであったという点に象徴的であろう。

・女性は、教育の機会が制限され、大多数の女性は初等教育を受けることすら困難となった
・女性は就労が禁止された。政府のポストで唯一女性が就くことができたのは医療・薬学関係のみ。女性の医師は、他の女性を診ることが許されなかった
・外出の際にはブルカの着用が義務付けられた
・男性は髭を生やすことが義務付けられ、イスラム教徒らしからぬ髪型や服装は禁止
・映画館は閉鎖され、音楽、ダンス、写真撮影、テレビ、ラジオ、スポーツ、凧揚げも禁止
・窃盗・強盗を行った者は手を切り落とされる
・同性愛者はレンガの下敷きの刑
・不倫は石で撲殺
・改宗者は死刑
・強姦・殺人は被害者家族によって、毎週金曜日に行われていた公開処刑に処された

さらに、多神教的とみなされる文化遺産は破壊された。
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<上左:UNICEF, Public Domain, 1963年、上右:CNN, 2001/3/21,大仏爆発の瞬間、下:Wikipedia, 2005年現在の姿>

このバーミヤンの仏教遺跡の破壊は有名である。

タリバンは、治世中サウジアラビアを追放されたオサマ・ビン・ラディンを受け入れ、9・11後の米国による身柄引き渡しの要求を拒否したことで、政権の座から追われることになった。現在所在不明の最高指導者オマル師拘束につながる情報提供者には、米国政府によって1,000万ドル(約11億円)の報奨金が用意されている。
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by iyasaca | 2008-01-12 07:53 | アフガニスタン・イスラム共和国 | Comments(2)
Commented by pinyapine211 at 2008-01-11 14:04
自分の住んでいる日本とこの国が同じ世界にあることが不思議に思えます。いまだ宗教の自由が許されないという現実や人種差別も、今の世界に共存しているのですね。
Commented by iyasaca at 2008-01-14 10:25
もちろんこういう自由がない社会は、息苦しいと思いますが、タリバンだけではなく、国際社会から糾弾されている国々を見ると気の毒な思いに駆られることがあります。日本やイギリス、アメリカなど現在の先進国と言われている国々もほんの百数十年前まで、(今の価値観で考えると)随分とひどいことをやっていたわけです。例えば江戸期の日本にはキリスト教は禁止されていましたし、移動の自由もありませんでした。仇討ちも許されていました。アメリカも先住民を動物のように狩り、土地を奪い、絶滅寸前まで追い込み、またイギリスも世界中で現在の紛争の種(クウェートもイスラエル・パレスチナもカシミールなど)を撒き散らすなど、似たようなものです。当時は「国際社会」も余計な口出しをするNGOも存在せず、言うなれば変革のための時間の猶予が与えられていたわけです。問題改善のため、かつて発展途上国であった現在の先進国に与えられていた時間的余裕が、現在の発展途上国に与えられておらず、すぐに制裁を加えたりしている現在の状況を見ると、そういう国が高潔さを前面に出し、倫理を説き、ときに制裁まで加えているのを見ると複雑な思いがします。
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