勝手に僻地散歩



カブールにいってみた その2

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<写真:カブール市内の様子>

現在アフガニスタンと呼ばれるこの地域は、歴史的にイラン、インド、中央アジアなど周辺で勃興した王朝によって、一部が、ときには全土がその版図に加えられたり、失ったりする場所であった。王朝の支配が及ばない時代には、地方の有力者が部族をまとめ上げ、共同体を維持してきた。おそらくは王朝の支配が及んでいた時代でも、地方の有力者には相当の自治が認められていたのではないだろうか。

中央集権国家建設の試みは何度も行われているが、ベースが部族社会であるということはアフガニスタンの歴史を見ていくと分かるような気がする。現在行われている国づくりは国際社会による中央集権国家建設の試みの一つであるが、これは9・11を受けての米国によるタリバン政権放逐の延長線上にある政治プロセスである。
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<写真:カブール市内の様子>

2001年12月に米国によって追放されたタリバンは、1979年ソ連のアフガン侵攻が契機となって結成された宗教集団である。もともとは、ソビエトの侵攻によって住む場所を追われた多くのアフガン人が居住していた避難民用のキャンプに併設されたモスクと宗教学校出身の神学校生が中心であった。ちなみジャマアティ・ウレマ・イスラーム(Jamiat Ulema-e-Islam,JUI)にサウジアラビアの支援で建設された避難民キャンプのモスクと宗教学校ではの宗教聖職者が教鞭をとっていた。JUIは、シーア派の異端視、一切の偶像崇拝の禁止、女性の社会的役割の極度の限定などコーランを厳格に解釈するデオバンディ学派(スンニ派ハナフィ学派系)に属する。この思想が後にタリバンが政権を奪取したときの政策の基本となる。

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タリバンは1994年、後のタリバン最高指導者ムハンマド・オマル(Mullah Mohammed Omar)がこのJUI出身の神学生を集め、「祖国アフガニスタンの乱れを正すイスラム戦士の集団」として結成した。指導者のオマル師については、ほとんどよく分かっていないが、カンダハール近郊のカクレズ(Khakrez)地区にて貧しい土地を持たない農民で村々を回る巡回布教師でもあったムラビ・グラム・ナビ(Moulavi Ghulam Nabi Akhund)の長男として生まれたと言われている。また出身部族はホタク(Hotak Tribe)のトムツイ派(Tomzi Clan)である(タリバン公式サイトより)
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<いずれもオマル師と言われている写真> 
タリバン公式サイトShahamatに2015年4月に掲載されたオマル師の略歴によると生年は1960年。偶像崇拝を禁じていたためか、公式にオマル師とされている写真は一枚もない。写真がないのはパキスタンの情報機関ISIが神秘性を演出するため、情報統制をかけたからとも言われている。



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by iyasaca | 2008-01-05 13:49 | アフガニスタン・イスラム共和国 | Comments(0)
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知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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