勝手に僻地散歩



奥鬼怒温泉郷 八丁の湯にいってみた

鬼怒川から奥鬼怒温泉郷へと足を延ばしてみた。奥鬼怒川とは加仁温泉、日光澤、手白澤、八丁の湯の4つの湯を指して言う。今回は4つの湯でも比較的アクセスのいい八丁の湯に向かう。八丁の湯のホームページを覗くと、鬼怒川温泉駅前から女夫渕(めおとぶち)駐車場行きの日光市営バス(運賃1500円)に乗り、そこから宿の送迎バスに乗り換えてくださいとある。駐車場から先は、一般車両立ち入り禁止であり、そこからは宿の送迎バスか徒歩である。

鬼怒川温泉駅を降りると目の前にタクシー乗り場が、右手と左手にバス乗り場がある。右手のバス乗り場は鬼怒川温泉駅前に点在する宿を巡回するバスの乗り場である。目当ての日光市営バスの停留所は左手奥にあった。停留所の前まで行くとバスが二台止まっている。よく分からないので、停留所の前でうろうろしている運転手らしき中年男性に
「女夫渕に行きたいのですが」
と話しかけると、
「ああ、じゃあこれでいいんだよ」
と前に止まっているバスを指差した。
おとなしく指を指されたバスに乗り込むと、しばらくしてバスは出発した。バスのバックミラーの上にあるデジタル時計を見ると事前に調べていた発車時刻より10分ほど早い。車内に書かれている運賃も1000円であり、ホームページに載っていた運賃より500円安い。変だなと思いつつもバスは無事に女夫渕駐車場に到着した。バスを降り、振り返って見ると、乗ってきたバスの側面に「しおや交通」と書いてある。後で調べてみると、この何気ないやり取りにも意味があったことが分かった。

2005年7月、日光市営バスが独占していた鬼怒川温泉駅前―女夫渕駐車場の区間にしおや交通が参入した。毎日運行している日光市営バスに対して、しおや交通は土曜・休日のみの運行である。しおや交通は、当時2,100円だった日光市営バスの料金に対し、1,600円という値段設定をし、かつバスの出発時間を日光市営バスの5分前にした。その後の値下げ競争の末、現在ではしおや交通1,000円、日光市営バス1,500円という値段設定になっている。このしおや交通による新規参入の結果、日光市営バスは1,000万円の減収となってしまったという。しおや交通にいいとこ取りをさせた規制緩和の方針に、日光市営バス側は強い疑義を投げかけている。日光市営バス側の気持ちは分からないでもないが、競争に勝つにはさらなる値下げ競争を行うか、付加価値をつけて、高価格でも顧客に選択してもらうような戦略をとるかのいずれかしかないだろう。私が声を掛けたのが、たまたましおや交通の運転手だったわけで、それゆえに前方に止まっていたしおや交通のバスに乗ることになったわけである。ちなみに、後ろにとまっていた日光市営バスの方が大型で新しい車両であった。


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女夫渕駐車場に到着。すでに標高が高いのか、鬼怒川温泉駅よりもかなり涼しい。女夫渕というのも随分と変わった地名である。聞いてみると、いわゆる平家の落ち武者伝説に由来するらしい。

壇ノ浦の戦いで敗れ、平氏の一族は散り散りに逃れていった。その中の一人、中将姫も山奥に逃げ延びた。姫は中納言も奥州路に逃げ延びたと聞き、その後を追う。二人はそれぞれ鬼怒川の右岸と左岸で、ときに大自然に前途を遮られながら、懸命に北へと向かう。放浪の果てに、二人は鬼怒川を過ぎた黒沢と本流の合流点である三音渕で再会する。この話にちなんで、三音渕は女夫渕と地名を改めたというのである。

上の写真の右に見えるのは土産物屋で、その奥に女夫渕ホテルがある。このホテルでは日帰り入浴もできる。土産物屋の右は崖になっており、20メートルほど下には渓流が流れている。写真には写っていないが、中央分離帯のようになっている草の帯の左側には50台ほど収容できる駐車場がある。


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さて女夫渕駐車場からは、一般車両は通行止め。宿の送迎バスに乗り換える。ここからは目的地の八丁の湯までは約3.5キロ。起伏のある遊歩道を歩いていけば、約1時間半の距離である。この橋の下には鬼怒川の源流が流れている。送迎バスに乗って八丁の湯に向かう途中、通行禁止のはずの山道に、一般車両が何台か入り込んでいた。あれだけ大きく通行禁止と書いてあるのに、気づかないはずはなく、おそらくは全て承知の上で進入しているのだろう。送迎バスの運転手はおそらく山菜取りが目的だろうと言う。二台ほど目撃した一般車両にはいずれも若者ではなく、年配のグループが乗っていた。

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八丁の湯への道路ができたのはそれほど昔のことではない。遊歩道を拡幅して小型の四輪駆動車が走れるようになったのが、1973年(昭和48年)のことで、現在のようにバスが通行できるほどの道路ができたのは1988年(昭和63年)のことでしかない。また道路が開通したと同時に電気も通ったという。開業からつい最近まで、繁忙期には一日2回も、30-40キロ近い荷物を背負って行き来したというから想像を絶する。あまりの環境に、90年代中ごろまでは1月から4月上旬までは閉館していたという。女夫渕駐車場から、起伏のある道をバスで走る。途中、送迎バスを出していないという手白沢温泉、日光沢温泉への分岐を抜けて約1時間、ブナやナラの茂る山の谷間にある八丁の湯に到着する。宿の隣を走る渓流は鬼怒川の源流である。

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さて八丁の湯という名前の由来である。
八丁の湯から鬼怒川沿いにさらに北へ向かうと日光沢温泉がある。このあたりに、かつて川俣部落の人たちが木杓子やまげわっぱを作っていた作業小屋があった。この作業小屋に詰めていた職人たちが通った風呂が八丁の湯であった。作業小屋から八丁(800メートル)の距離にあったことからそのように呼ばれるようになったという。八丁の湯の宿は、栃木県鹿沼生まれの電気職人、鈴木富次郎氏が2年がかりで男女が入れる内風呂と露天風呂、4つの客室を建造し、昭和4年8月に開業した。山間の地勢は、稲作には不向きで、稗や粟で生活する貧しい村であった。電気が通る昭和63年までは、宿は30あまりのランプが灯っていたこともあり、「ランプの宿」とも呼ばれていた。

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現在は本館とログハウスの二種類の宿泊施設がある。本館は16室、トイレは共同。ログハウスは17室、バストイレつきである。ログハウスは畳敷きで天井も高い。6人くらいは泊まれるので、人気の紅葉の時期には少人数だとログハウスでの宿泊は断られることもあるらしい。風呂は以下に見られるように、内風呂に露天が4種類ある。うち露天の3種類は混浴である。源泉は岩盤の割れ目など8箇所から毎分220リットルの湯を湧出している。滝の中に9つ目の源泉が湧出しているらしい。


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上の写真は、男性用の内風呂。開業と同時に作られた一番古い湯船である。開業当時は真ん中に仕切りがあり、男女を分けていたとのことで、その名残で湯船が二つある。下の写真は、雪見の湯。こちらも昭和4年開業時に作られた露天風呂(混浴)である。温泉の効能が強いのか、風呂上りにぐったりとした疲労感が襲ってきた。これも効いているということなのだろう。

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こちらは、いずれも昭和40年頃に作られた風呂である。上の写真は、滝見の湯。下の写真は、石楠花の湯でいずれも混浴である。構造上、混浴部分は廊下から丸見えであり、女性の入浴はよほどの覚悟がないと難しい。しかし、石楠花の湯は手が届くほどの距離に滝が流れており、また湯温も一番高いのでオススメである。宿自体は旅館というよりも、山間の一軒宿というつもりでいた方が良い。食事も一斉に大広間で食べさせるスタイル。例のごとく風呂上りでだらだらし、食事の開始時間から30分も遅れたため部屋まで女将が
「お食事用意ができてますよ」
と呼びに来てくれた。
この大広間で気づいたのが、外国人の姿が多いことに意外な思いがした。しかしよく考えてみれば、古代ローマの時代から公衆浴場というものは存在するし、別に温泉文化が日本特有なものでも何でもないということを考えると、「意外」と思う方がおかしいのかもしれない。それにしても、ここを見つけ出す外国人がひとりや二人でないところを見ると、ガイドブックにでも掲載されているのだろう。

<追記>
2008年4月からは、しおや交通が日光市営バスより運行業務を受託することとなったようで、かつて鬼怒川駅前で見られた微笑ましい競い合いは見られなくなった。
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by iyasaca | 2007-07-28 21:49 | 栃木 | Comments(0)
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知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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