勝手に僻地散歩



ナガランド州コヒマにいってみた その8

ギャリソンヒルの丘の上に立ち、ここでの戦いを理解したくて、8つものエントリーを長々と書いてしまった。コヒマとインパールの戦いについての記事はこれで最後。

牟田口司令官は1944年8月30日参謀本部付となり、内地に戻る。その際にラングーンでビルマ方面軍が主催した歓送会で、牟田口氏はこう発言している。

「自分は、インパール作戦は失敗したとは思っていない。インパールをやったからこそ、ビルマを取られずに済んでいる。自分がもし、無理をしてもやらなかったら、今頃は大変なことになっておった。」その後、陸軍予科士官学校長となる。戦後は東京都調布市で余生を送り、1966年に77歳で亡くなった。

彼に対しては最後までインパールの責任を認めなかったという批判の声がある。
彼の戦績と戦後の行動、言動を見ると、ベトナム戦争時の国防長官でその後、世界銀行の総裁を務めたロバート・マクナマラ(Robert S. Macnamara)を思い出す。彼は、齢80に到達するかというところで、ベトナム戦争に対して反省めいた発言を始める。彼の回顧録("In Retrospect: The Tragedy and Lessons of Vietnam"1996)やFog of War(2003年製作)では、彼の苦悩が比較的正直に表現されている。70を超えて、自分の考え、特に自分の人生を否定することになりかねないほどの考えの変更を公にするその勇気は、素晴らしい。

さて一方、佐藤幸徳師団長である。牟田口のコヒマ死守命令を無視し、激烈な電文を打ちながらラングーンに向け撤退していった。下の引用は、師団長解任直前、ラングーンに向かう途中のカレワからの電文である。

「統帥もここに至っては完全にその尊厳を失い、全て部下に対する責任転嫁と上司に対する責任援助の耐え存在しあるに過ぎざるものと断ぜざるを得ず。実に前代未聞のことなり。彼ら(第15軍)には微塵も誠意なく責任感なく、ただ虚偽と、部下に対する威嚇あるのみ。小官はコヒマに在りし当時より、つとにこの深層をカンパし、警戒しつつ今日に至れるものなり。林(第15軍)司令部の最高首脳の心理状態については、速やかに医学的断定を下すべき時期なりと思考す。森(ビルマ方面軍)司令部もまた,第一線より遠く隔絶せるラングーンより、第一線の身体を指導せんとするがごとき、実に統帥の要諦を理解せざる結果と思考せざるを得ず。」

佐藤氏は、解任後、「急性精神過労症」との診断により、ジャワの第16軍司令部付となる。軍法会議では不起訴になっている。戦後インパール作戦について手記を残したとのことだが、出版はされていないようだ。

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さて現在、ギャリソンヒルは英印軍第二師団の墓地となっている。その麓には有名な碑が立っている。

When you go home
Tell them of us and say
For your tomorrow
We gave our today

この碑文は英印軍第二師団ジョン・エティー・リール(John Etty-Leal)少佐が第一次世界大戦のジョン・マックスウェル・エドモンズ(John Maxwell Edmonds)少佐による碑文、
When you go home, tell them of us and say
"For your to-morrows these gave their to-day."
に触発されて書かれたものであると伝えられている。

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さらにその横にある説明文の全文である。訳すのが面倒なので、英文のまま掲載する。(原文は全て大文字)

In February 1944, A Japanese Army of Invasion advanced across the hill of Manipur and Assam, Proclaiming as its mission the conquest of India.

By April the Japanese 31st Division had invested Kohima. Its vanguard were approaching Dimapur to meet the threat to the lifeline of our force in Imphal. The 2nd Division was called from southern India.

By land, sea and air, the Division moved to Dimapur. As fast as troops arrived, they advanced to the relief of the valiant Kohima Garrison, isolated on the top of Garrison Hill.

On 14 April, leading the advance, 5 Inf. Bde. Smashed foremost Japanese road block at Zubra, and on 18 April, 6 Inf. Bde. relieved the Kohima Garrison. Now almost at the limit of its endurance, the first task had been completed.

The second and heaviest task was to drive the enemy from the dominating heights of Kohima.

On this and the surrounding hills was fought. For one month the bloodiest and most desperate battle of the campaign, here and on the hills. Above, 6 Inf. Bde. endured and fought back till every Japanese soldier was killed or lay buried under his broken strong points. To the north the Kohima Naga village was carried by the night assault of 5 Inf. Bde and held against repeated counter attacks to the south. Over the steep jungle covered hills of Pulebadze, 4 Inf. Bde. marched for fourteen days to strike the enemy in the heart of his positions. By 15 May, all Kohima was ours, and the strength of the 31st Japanese Division broken. Without continuously loyal aid from Naga stretcher bearers, porters and guides, this victory could not have been won.

There renamed the final task of 2nd Division. To complete the rout of 31st Japanese Division, and open the road to the besieged Garrison at Imphal at Aradura, Viswema, Khuzama and Maram, victories were quickly won against deperate enemy rearguards. On 22 June 1944, contact was made at Mile 108 with the forces advancing from Imphal. The road was open and the three-month siege of Imphal raised.

A routed force, the once proud 31st Japanese Division was in heralding retreat eastwards, uttering the hill tracks with its dead and dying.




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ギャリソンヒルにある墓地は英印軍だけのもので、そこで命を落とした日本軍の英霊は葬られていない(と書いたが、後述するように、日本人らしき名前が刻まれた墓碑が並んでいる区画があった)。ひとつのひとつの墓石には、英印軍に参加した、英国人、インド人、ネパール人の名前が刻まれている。写真の墓石は1944年4月19日に25歳で亡くなったR.C.Raw上等兵のものである。ちなみにこの丘の頂上に、前回のエントリーで紹介したテニスコートがある。

日本軍の慰霊碑は、インパール近郊15キロのインド政府の協力を得たロトパチン村の村民と日本政府によって1994年になってようやく建立された。

ロトパチン村の村長は「日本兵は飢餓の中でも勇敢に戦い、この村で壮烈な戦死を遂げていきました。この勇ましい行動はみんなインド独立のためになりました。私たちはいつまでもこの壮烈な記憶を若い世代に伝えていこうと思っています。そのため、ここに日本兵へのお礼を供養のため、慰霊祈念碑を建て、独立インドのシンボルとしたのです。」
ロトパチン村の好意はありがたいが、行き届いた管理がなされたギャリソンヒルの英印軍の墓地を見ると、この戦没者への姿勢の彼我の違いは何であろうかということを感じざるを得ない。

とはいえ、日本も遺骨収集は1978年まで粛々と行われていた。しかしながら、現地の治安悪化によって、長きにわたって中断していた。しかし2012年1月25日、グワハティに英軍墓地で、34年ぶりの遺骨収集が行われた。墓地の一角に日本人とみられる名前が刻まれた11の墓碑が一列に並んでいる区画があり、2012年の遺骨収集団は、そのうち9つの墓碑前面から遺骨を収容している。しかし、インパール作戦で犠牲になった3万人のうち、収容できた遺骨は2万人分に満たないのである。

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コヒマに残る戦跡は、ほかにもある。山腹に英国第二師団がコヒマ攻略のために使ったM3戦車が野外展示してある。あまりに普通のところにあるので、知らないでいたら、気づかずに通り過ぎてしまうだろう。

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戦後、日本側とイギリス側の戦友会がお金を出し合い、カトリックの教会を建立している。平和を願って建てたものでキリスト教会にしたのはナガの多くがキリスト教徒であるからである。内部の様子を見れば分かる通り、かなり大きい教会である。

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入り口を入ってすぐ右側に日英両言語での碑文がある。コヒマのエントリーの締めくくりにこれ以上ふさわしい文章はないので、引用して、その結びとしたい。

奉納趣意書
一九四四年の春、ここコヒマでは、ガリソン高地の争奪に日・英両軍が鎬を削って戦い、彼我合わせて○千の将兵が、祖国の為に死んで逝きました。

“君、故郷に帰りなば伝えよ
  祖国の明日の為に死んで逝った
    われらのことを“

ガリソン丘にあるこの碑文は、亡くなった日・英・印全将兵に共通の想いであり、そして彼らが願った「祖国の明日」とは、平和と繁栄に満ちた祖国だったと確信します。

しかしいまや世界は狭くなり、世界の平和なくして祖国の平和も繁栄も有り得ません。私たちはお互に国境を越えて共存共栄に努力することが大切であり、これが引いては、亡き勇士達の願いに応える事にもなりましょう。

このたび、カトリックの聖堂がコヒマに建立され、朝夕亡き勇士にミサを捧げてくださることは誠に有難いことです。又、地元の皆様が司教様と一緒に末永く往時の勇士を偲んでくだされ、彼らが願った平和と繁栄の為に精進くださるならば、これに優る供養はございません。

玆に、私達生き残り戦友並びに遺族相諮り、聖堂建立資金を集めて奉納する次第です。

合掌

一九八九年一月吉日
  日本国
    コヒマ戦生存戦友
    同 戦友者遺族  一同
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by iyasaca | 2006-08-19 11:07 | インド | Comments(3)
Commented by iyasaca at 2012-05-12 08:26
<インパール遺骨収集再開>すでに2012年1月にコヒマで34年ぶりに遺骨収集を再開している。激戦地のマニプール州インパールでの遺骨収集も進められる予定。
Commented by iyasaca at 2012-08-05 17:56
<インパール>厚生労働省は2012年1月、アッサム州グワハティの英兵墓地に残るKomatsu Tomoshigeなど日本人らしき名前の墓碑11のうち9つから遺骨収集に成功している。
Commented by iyasaca at 2012-08-05 18:00
<インパール>インパールに住むついた日本兵を題材にした映画「My Japanese Niece」が2012年10月公開予定。ナオレン監督(Mohen Naorem)
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