勝手に僻地散歩



ナガランド州コヒマにいってみた その4

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1944年3月8日。第33師団(弓)がチンドウィン川を渡河した。インパール作戦の開始である。3月15日には、遅れて到着した第15師団(祭)、第31師団(烈)が作戦行動を開始した。

第15師団〔祭〕は、北東方面からインパールに向かい、第33師団〔弓〕はトンザンを経て、南西からインパールに向かい、第33師団山本支隊はパレルからインパールへと向かい、第31師団〔烈〕はコヒマへと向かった。

2,000メートル級の山越えを含む、250キロにも及ぶ行軍を支える補給のために考案されたジンギスカン作戦(牛馬とともに行軍し、移動時には荷物を背負わせ、食糧不足時には牛を食糧とする)は、初動段階から困難に直面した。大量に徴発した牛は、最初の作戦行動であったチンドウィン川の渡河の際に多くが流された。 そもそも牛は、湿地帯を好み、長時間の歩行を得意としていない。密林地帯、山岳地帯では牛の食料である草の供給もままならず、行軍の障害ですらあったため、次々と放棄され、所期の目的を果たすことはなかった。

徴発した4,000頭の牛のうち、半分が流されたと言われているジンギスカン作戦の最初の作戦行動であるチンドウィン河渡河について、兵士の証言が残っている。少し長いが引用する。
「(牛は)半分以下になったの。まともに渡ったってのはいないんですよ。まず兵隊が船に乗って、そいで両脇に並ぶわけですよ。そしてみな牛の手綱を持って、でまあ後ろからケツはたいて、川の中に入れるわけですよ。そしたら牛は前に行くよりしょうがないから、どんどんどんどんまあ引っ張る。そのうちにぶるっちゃう(牛)のがいるわけですよ。そうすると押さえている兵隊も一緒にこう流されるような格好になるからね、まあ放すわけでしょ、そうすると牛は流されていくわけですよ。だから荷物積んだそのまんまで流れてっちゃうわけ。後はどうしてみようもないわけですよ。」
(新潟県高田陸軍歩兵第58連隊 牧岡善太軍曹の証言、(シリーズ証言記録 兵士たちの戦争、「インパール作戦 補給なきコヒマの苦闘ー新潟県高田陸軍歩兵第58連隊ー」、NHK,2008年8月26日放送)

また何とか渡河した牛についても、
「(牛の)ケツに火をつける、そうすると起きるわね そしてまあ歩ける、だでもそうなった場合はもうだめだね。それから尻尾を束ねてぎゅーっと握るとぽきんと音がする。そうすると痛いから結局動こうとしてもやっぱし動けない。だからもうそういう風になったらもう、動いてももう荷物するものはだめだね、牛にはつけられない。だからもう、引っ張る者と押す者とでもってで、やっても駄目な場合は駄目。背負えないものはそのまんまでしょう。誰だって構っていられない。そこにはいられないんだし、前線に行かなくちゃならん任務があるんだもん。だから牛駄目になれば、牛を置いていくし、糧秣はもうそれだけ持つだけ持って、残りは置いていくよりしょうがない」(泰伸之兵長の証言、同番組)

計画上、インパール作戦は3週間の電撃作戦であったため、3個師団が携行した食糧は20日分のみであった。弾薬についても同様で、足りなくなったら、英軍補給物資を奪うか現地で調達しろとの指示であった。それでも一人あたり40キロの食糧と弾薬を背持っての行軍だった。

新潟県高田陸軍歩兵第58連隊に従軍した山上博少尉は以下の通り証言している。
「食べれる草、有毒な草、それを見分けができるようなね、まあ訓練といえば訓練だわね。
食糧になる野草はこういう格好をしとってこういうものだ、まあそういうような簡単な資料が司令部から来るんですよ。でそれを現地で照らし合わせながら食べるわけです。ちょっと考えられないでしょう。ねえ」(山上博少尉の証言、同番組)

緒戦において、投入された3個師団は健闘を見せる。第15師団(祭)は3月19日には国境を越え、23日にはインパールの北東、サンジャック(Sangshak)に到達する。インド国民軍の支援を南〔チン高地のハカ、ファラム地区〕に受けながら、29日にはコヒマへの道路を遮断する。しかし、ここで英印軍の反撃にあい、足止めを食らうことになる。この段階で各師団は、すでに深刻な食糧・弾薬不足の状態にあった。作戦本部から、進撃の命令は下るが、攻撃しようにも弾薬がないという状態である一方、制空権を握る英印軍は、攻撃を受けるリスクにさらされることなく、補給を受け続けた。当初から、現地調達を旨とした補給計画ゆえ、4月末の段階で、第一線への補給が確保できていたのは第33師団〔弓〕のみであり、第15師団〔祭〕及び第31師団〔烈〕への補給路は途絶えていた。その弓への補給も十分ではなかった。

第33師団〔弓〕師団長柳田中将は、前途の危うさを見て、作戦中止を進言したが、以下の理由を並べ立てられ、5月15日、解任された。1)インパール作戦計画に始めから反対していた、2)準備作戦のチン山攻略を命じたが容易に従わなかった、3)トンザン=シンゲルの戦闘で敵を包囲しながら取り逃がした、4)作戦中止を意見具申し、前進を遅らせた。ゆえに、作戦の重要な時期にある中、臆病で戦意もなく、師団長として不適当。後任には田中信男少将があたることになった。同日、結核で指揮能力を喪失した第15師団(祭)山内師団長も更迭されている。山内中将はメイミョー兵站病院で肺結核・腸結核・喉頭結核性脳膜炎を併発し、インパール作戦中止の一ヵ月後の8月5日に52歳で亡くなっている。
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by iyasaca | 2006-08-09 18:05 | インド | Comments(0)
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