勝手に僻地散歩



石舞台古墳にいってみた その3

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<写真:石舞台古墳の石室へと続く羨道>
石舞台古墳について、考古学調査から得られている知見を引き続き整理していく。

古墳の大きさ
墳丘規模は厳密に基準が設けられていたことから、墳丘の大きさは被葬者の推定するに重要な情報である。ここではメートルに加えて、当時の計測単位も用いながら考察する。

当時の計測単位
1尺=22.9cm(古墳尺)
6尺=1歩(1.37m)

30歩以上の大型規格は四分の一歩(34.3センチ)で調整が行われた。30歩未満とする場合は、 八分の一歩(17.1センチ)、直径で3歩(4.11メートル)を単位として調整された。

さてこれらの事を踏まえて、石舞台古墳の規模と形状、そしてそれが意味することについて整理する。石舞台古墳の下段は一辺約50メートルほどであった。このことから規格としては、36歩(49.3m)が採用されたと推定される。30歩が大型古墳の規格とされていた時代、36歩は規格外の大きさである。また古墳は、幅5.9メートルから8.4メートルの空濠に囲まれており、さらにその外には上面の幅が約7メートルの堤があった。

石棺の大きさ
古墳そのものの規模と同様に重要なのは、被葬者の納められた石棺の大きさである。ところが、残念なことに石棺そのものは残存していない。石棺がないケースは石舞台古墳に限らず多く見られるため、両袖式横穴式石室の場合、羨道の幅が石室全体の規格を指し示す基準であるとの研究の成果として明らかになっている。

この横穴式石室の石室規格(=羨道の幅)の編年観によると、最高の格式とされるのが天王山古墳(崇峻天皇陵)、牧野古墳(押坂彦人兄皇子墓と推定)の羨道幅に見られる1歩四分の一(1.71m)である。石舞台古墳の羨道の幅は1歩半(2.06メートル)とさらに大きい。

副葬品
石棺をはじめ、副葬品はほとんど残されていない。見つかったのは、6世紀末の土師器と須恵器や銅の金具、釘、石棺の一部と推定される凝灰岩の破片だけである。またなぜか後代の宋銭(12世紀後半)や寛永通宝(17-19世紀)も見つかっている。出土遺物の写真は京都大学のデジタルアーカイブ「石舞台古墳 発掘の記録」でみることができる。

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by iyasaca | 2015-04-25 00:00 | 奈良 | Comments(1)
Commented by iyasaca at 2015-03-05 12:20
発掘が進んでいる都塚古墳、蘇我稲目の墓と推定されているようだが、一辺41メートルの方墳であるという。これは当時の計測単位で言うと30歩。つまり古墳の大きさとしては、最高の規格である。
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知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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