勝手に僻地散歩



ヤンゴン 軍事博物館にいってみた その1- アウンサン将軍の日本滞在

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<写真:博物館入口、外国人入場料は3ドルとの掲示がある>
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「絶対に降伏しない精神」、「任務を遂行する断固たる決意」、「高貴なる国軍の伝統を守る犠牲の精神」。ミャンマー国軍(Tatmadaw)を支える戦陣訓である。

ミャンマー最大の都市ヤンゴンに、そのミャンマー国軍を顕彰する軍事博物館(Defence Services Museum)がある。博物館は国軍の歴史、装備、そして現在における国への貢献について、貴重な写真や実際に使われていた装備の展示を通じて、世に広く知らしめることを目指しているのだろう。

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入口で入場料を支払うと見学者用バッジを手渡される。特に見学者用に館内案内などは作成していないようである。

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館内は、電力節約のためか、電気は落とされており、全体として薄暗い。ところどころに博物館の職員らしき姿は見えるが、私の他に見物客はいない。

ところでミャンマー国軍創設には、日本が深く関わっていた。

f0008679_0491839.jpg話は、中国戦線が膠着状態に陥りつつあった1940年、蒋介石軍の物資調達ルートの一つである援蒋ルートを遮断する作戦の一環で、ビルマに独立を志向する集団を組織、支援することが望ましいとの認識のもと、大本営陸軍本部が鈴木敬司大佐を長にビルマ研究を命じたことに端を発する。この研究は後に特務機関である「南機関」発足へと展開していく。

ビルマ研究の内示を受け、鈴木大佐は興亜院、満鉄調査部、上海の特務機関などとの協力を得て情報収集を開始した。そして3ヶ月後の1940年6月には、読売新聞特派員「南益世」として現地に入ったのである。すぐにティモン博士より将来有望な独立運動家アウンサンの存在を知らされる。アウンサウンとは言うまでもなく、アウン・サン・スーチーの父である。

<写真:鈴木敬司陸軍大佐>

f0008679_0562370.jpgしかしアウンサンは、宗主国英国に対する激しい独立運動を展開していた秘密結社タキンの一員であったことから、当局より懸賞金付き指名手配がかけられ、厦門(アモイ)に逃れた直後であった。鈴木からの要請を受けた日本軍はすぐに潜伏中のアウンサンを厦門で発見、面田紋二という名前を与え、浅黒い彼らが怪しまれないようフィリピンとの混血児として、もう一人の独立の志士ラミヤン(糸田貞一)とともに日本に連れ出した。1940年11月のことである。
<写真:日本滞在中のアウンサン、珍しい和装の写真>

f0008679_185189.jpgちなみにアウンサンに与えられた面田という名前は、ビルマの漢字表記「緬甸」からとったものである。二人は鈴木の東京の宿舎、浜松の実家、そして浜松湖湖畔の旅館「小松屋」などを転々としていた。この間の心境はいかばかりであっただろう。しかしこの当時世話をしてくれた同年代の女性(エイコさん)にカタカナで恋文を書いてもいる。将軍も25歳の若者だったのである。

<写真:鈴木大佐の実家?アウンサンは右端>
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by iyasaca | 2015-01-24 00:00 | ミャンマー連邦 | Comments(0)
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