勝手に僻地散歩



ミクロネシア連邦ポンペイ州にいってみた その10 - 陣地構築に励むポナペ守備隊

f0008679_19513048.jpg
<写真:コロニアの南に残るナット村集会所門柱跡>
ポナペの増強が続く中、東方では悲劇が続いていた。日本軍の守備隊の全滅がこれだけ連続している。

1943年11月23日 タラワ玉砕、マキン玉砕
1944年 2月1日  マジュロ占領
1944年 2月2日   ルオット玉砕
1944年 2月3日  ナムル玉砕
1944年 2月5日  クエゼリン玉砕

f0008679_19301349.jpg

f0008679_19305369.jpg
f0008679_19302418.jpg
<写真:ミクロネシア短期大学ポンペイキャンパス内に残る日本軍の陣地と草に覆われた防空壕>
そして2月15日、ついにポナペの空襲が始まる。空襲は連日続き、最も激しい頃には常時滞空100機という規模であった。さらには5月にはホーランジア攻略を終了した米戦艦群による編隊艦砲射撃も加わり、日本軍の地上施設はもちろん、コロニアの町は灰燼に帰した。島民は爆撃が集中する町を離れ森に逃れた。その島民を追うように、山麓のジャングル地帯にも攻撃が加えられ、山肌は変形するほど焼きただれていたという。また空爆当初は蛸壺と言われた防空壕もなく、ただただ草むらに身を潜めていただけであったが、徐々に陣地構築が進み、44年末には中掩蓋陣地が完成、45年4月までに重掩蓋と水際障害物の設置が完了している。主に海軍は上陸が想定される地点への水際撃滅戦術を可能とするため進められた。
[PR]
by iyasaca | 2014-06-14 00:00 | ミクロネシア連邦 | Comments(0)
<< ミクロネシア連邦ポンペイ州にい... ミクロネシア連邦ポンペイ州にい... >>


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
最新のコメント
以前の記事
カテゴリ
タグ
ブログパーツ
記事ランキング
ブログジャンル