勝手に僻地散歩



ミクロネシア連邦ポンペイ州にいってみた その9 ポナペにおける軍の配備

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<写真:ソケースマウンテンよりポンペイ空港を望む>
1940年から44年にかけて、ポナペにおける軍の配置は度重なる編成の変更、偶然による増強が続く。その経緯は複雑で、軍歴のない私などには、追うのが大変である。

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<図:中部太平洋の地図。なぜ日本軍がトラックに基地を構えていたか分かる>
おおまかに言えば、ポナペは、中部太平洋の要衝であるトラック諸島の東の守りとして、その地政学的位置、そして島の大きさから重要な拠点となっていた。さらに増強の時期とポナペ以東の拠点が次々に陥落していく時期が重なったことで、もともとポナペの東への展開のために派遣された部隊が進軍できなかったことで、多くの兵力が滞留する結果となった。さらに皮肉なことに、米軍はポナペ島に空爆こそ加えたものの、上陸はせずに西進したため、ポナペ守備隊の被害は玉砕が相次いだ周辺島嶼と比べて軽かった。

以下はポナペ島守備隊の増強について、時系列に追ったものである。備忘録としての位置づけが強く、細かすぎて読みづらい。読み飛ばしていただいて結構である。

★★★★★★★★★★

1940年11月15日、日本海軍は第五根拠地隊をサイパンに編成した。この第五根拠地隊隷下にあった第四防備隊がポナペ(ポンペイは1984年までポナペと呼ばれていた)に最初に配備された日本軍の守備隊であった。

1941年8月11日にトラック島(現在のチューク)に第四根拠地隊が新設されると、ポナペに派遣された防備隊はサイパンの第五根拠地隊から第四根拠地隊の指揮下へと移った。翌年にはこの第四防備隊は第四ニ警備隊に再編成されている。

さて1942年6月のミッドウェーでの敗戦以降、ますます戦況が日本不利に傾く中、戦局打開のため南洋方面へ一層の戦力投入が求められていた。そこで満州に駐屯していた陸軍第五ニ師団所属連隊のなかの一つ、歩兵一〇七連隊(徴兵区金沢、山中萬次郎大佐)が実質的な海上機動旅団(正式な旅団ではなかった)、甲支隊として再編成された。1943年9月1日の連合軍による南鳥島空襲対応のためであった。

しかしその後、南鳥島の情勢が安定したため、中部太平洋へと戦力を振り向けることとなり、いよいよ動員の下令があったのが1943年9月2日(大本営 動第二四号)、9月6日に甲支隊の編成・派遣(大陸命第八三七号)が決定、翌日には編成が完了、出陣は11日だった。

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<写真:軽巡洋艦木曾、三笠保存会所蔵、1942年>

-甲支隊:宇品からポナペへ-
甲支隊は、トラック島経由でポナペに輸送された。第一陣は以下の通り。
1)歩兵連隊本部
2)歩兵第一大隊
3)歩兵砲中隊
4)独立山砲兵第一六連隊第三大隊
5)工兵第五ニ連隊第二中隊
甲支隊第一陣は、軽巡洋艦「木曾」、「多摩」、特設巡洋艦「栗田丸」、駆逐艦「大波」、「谷風」、空母「隼鷹」にて輸送された(丁一号輸送作戦)。ポナペには各艦船が、9月27日までに到着している。

また10月には、海軍第一通信隊を主体とする部隊で、陸兵と機材を戦艦「山城」、「伊勢」、空母「隼鷹」、「雲鷹」に搭載、第十一水雷戦隊(十一水戦)の「龍田」と第二水雷戦隊第32駆逐隊の「早波」、「涼波」、「藤波」に護衛され、10月13日に宇品を出港、15日に佐伯を出て、20日にトラック島着、10月27日にポナペに到着した。(15から20日が丁三号輸送作戦)当初予定されていた船舶工兵、十五榴大隊の配属は見送られた。

丁一号と三号があって、二号はどうなったのかと思ったが、丁二号輸送作戦は、ラバウルに第17師団を輸送する作戦であった。

ポナペに配備された甲支隊の編成は以下の通りである。
歩兵第一〇七連隊
   歩兵大隊(四歩兵中隊、機関銃中隊、歩兵砲小隊)3
   歩兵砲中隊(聯隊砲2、速射砲2)
   通信中隊(有線小隊2)
山砲兵第一六聯隊第三大隊
   山砲小隊(山砲4)
   大隊段列
工兵第五二連隊第二中隊
この間にポナペから西に約500キロの場所にあるモートロック諸島タ環礁(Mortlock Islands、Ta Atoll)で飛行場の設営を終了(43年9月末より作業開始)した海軍第一一航空艦隊(1943年7月25日編成、北川玉一大尉)第ニニ一設営隊がブラウン環礁(現在のマーシャル諸島エネウェトク環礁、Enewetak Atoll)に転進中に海没(1944年1月)し、残員はポナペ島に上陸している。(1943年10月に第四ニ警備隊に編入されたの情報も。要確認)。

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<写真:ポンペイ島南東のナーレップ島(Nahlep)、浅瀬が続き軍事拠点に相応しくないことが分かる。>
-ポナペからクエゼリンへ-
ポナペに集結した甲支隊は、1943年10月20日の大陸命第八七四号により、第五ニ師団に復帰した。同日に発令された軍令陸甲第九五号により、第五ニ師団は、海洋編成師団に改変され、歩兵一◯七連隊はB連隊に再編されている。その編成は以下の通りである。見ると分かる通り、占領された島嶼の逆上陸、海上機動反撃にあたる連隊である。今で言う海兵隊のような機能が期待されていたことが分かる。

またこの改変に伴い、甲支隊のうち以下はそれぞれ歩兵連隊の基幹に充用、復員している。
1)山砲兵第一六聯隊は、歩兵連隊砲兵大隊の基幹に充用し、復員
2)工兵第五ニ連隊は、歩兵連隊工作中隊の基幹に充用し、復員

従って、歩兵連隊Bの編成は以下の通りとなっている。

連隊本部(160名):水陸両用自動車9輛、自動貸車2輛

第一大隊(950名)
 大隊本部(91名)
 第一中隊(181名):5個小隊
 第二中隊(181名):5個小隊
 第三中隊(181名):5個小隊
 第一迫撃中隊(142名):指揮小隊、3個小隊
 第一砲兵中隊(113名):3個小隊
 第一作業小隊(61名):4個小隊
第二大隊(950名)
 大隊本部
 第四中隊
 第五中隊
 第六中隊
 第二迫撃中隊
 第二砲兵中隊
 第二作業小隊
第三大隊(950名)
 大隊本部
 第七中隊
 第八中隊
 第九中隊
 第三迫撃中隊
 第三砲兵中隊
 第三作業小隊
機関砲中隊(68名):3個小隊
戦車中隊(60名):3個小隊(各軽戦車3輛)、整備分隊、
工兵中隊(219名):4個小隊
通信中隊(124名)2個小隊(有線及び、無線)
衛生隊(176名):2個担架小隊、医療班(46名)

総員3,657名

<歩兵聯隊B 編成表要約、陸軍航空隊-戦闘序列と編制-第五二師団編制より>

新設された海洋編成師団は、ブーゲンビル島タロキナ岬(現在のパプアニューギニア、Cape Trokina)への出撃に向け準備をしていたが、11月末に連合軍のタラワ、マキン両島への上陸作戦が展開されたこともあり、急遽、山中萬次郎大佐以下が逆上陸部隊として、クエゼリンに進出した。クエゼリンに進出した部隊の編成は以下の通りである。
1)歩兵連隊本部
  第一大隊
  第三大隊
  通信中隊
  砲兵大隊(元独立山砲兵第一六連隊第三大隊)
  工兵中隊(元工兵第五ニ連隊第二中隊)
2)海軍第一通信隊
部隊は第二艦隊の重巡・駆逐隊を護衛につけ、十四戦隊の軽巡 「那珂」「五十鈴」にてポナペを発った。

-クエゼリンからクサイ、ミリ(ミレー)へ-
しかしタラワ、マキンはわずか数日(ともに11月23日)で玉砕に至ったため、歩兵連隊本部と歩兵連隊第一大隊をクサイ島(現在のコスラエ)に、歩兵連隊第三大隊と歩兵連隊砲兵大隊、歩兵連隊工兵中隊をミリ島に展開することとした。ポナペに残ったのは第二大隊を主体とする部隊のみとなった。

-続くポナペの戦力増強ー南洋第三支隊-
この時期以降、島嶼守備隊が次々と玉砕し、日本は制海権をどんどん喪失していった。その結果、逆上陸作戦に派遣した部隊が出撃できず、皮肉な形でポナペの戦力が増強されることになった。

まず増強されたのは満州に展開していた3個の守備大隊を主体として編成された南洋第三支隊である。動員が下令されたのは1943年11月15日、ポナペには翌44年1月10日に到着している。

南洋第三支隊は到着と同時に、ポナペにいた歩兵連隊第二大隊(大隊長、伊藤皓少佐、総員1,205名、他の連隊残員248名など)を指揮下に入れた。他に海軍第42警備隊(警備隊司令内藤淳大佐)をはじめとする海軍部隊(総員約2,000名)もポナペに展開中であった。

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<写真:コロニア市内に放置してある九五式軽戦車、装甲はぺらぺら>
-クサイ、ミリ島方面展開部隊の合流-
1944年2月にはクサイ、ミリ島方面への展開部隊として以下がポナペに輸送された。
1)迫撃砲第一連隊(第一中隊148名、第ニ中隊153名、第三中隊149名。各中隊には九七式(二式)中迫撃砲12門装備)
2)機関銃第一大隊機関銃中隊(総員71名。九八式高射機関砲6門装備)
3)戦車第ニ連隊戦車中隊(総員63名。九五式軽戦車9両装備)
4)衛生隊(総員186名)

いずれもポナペより先の輸送ができなくなっていたことから、これら全てが南洋第三支隊第二大隊の指揮下に入った。

-独立歩兵第五連隊の合流と第三一軍独立混成第五ニ旅団の編成-
さらにウェーク島へ展開する予定であった独立歩兵第五連隊総員1,757名もクエゼリンの戦闘が始まり、2月6日に玉砕したことにより、ポナペより先に展開せずにそのまま南洋第三支隊の指揮下に入った。
独立歩兵第五連隊の構成は以下の通り。
1)第二大隊(大隊長、才津彌三郎大尉、3個歩兵中隊、機関銃中隊、歩兵砲中隊、装備は37ミリ速射砲(2)、九二式歩兵砲(2))
2)砲兵大隊(大隊長、田口多徳少佐、野砲2個中隊編成、各中隊3門装備)
3)工兵中隊(詳細不明)
4)衛生隊(詳細不明)

1944年2月18日に第三一軍が新設、第五ニ師団は編入された。さらに5月27日における再編成で、独立混成第五ニ旅団が編成された。その指揮下には、
1)南洋第三支隊の独立守備歩兵大隊3個大隊(独立歩兵三四ニ、三四三、三四四大隊)総員1,565名
2)独立歩兵第五連隊の第二大隊(独立歩兵三四五大隊)と砲兵大隊(総員1,757名)
3)歩兵第一◯七連隊の第二大隊はじめとする旧甲支隊の残部隊(総員2,223名)

この混成旅団の編成により、指揮命令系統が旅団長のもとに統一された。

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<写真:ポナペ島地図、今西錦司 ポナペ島ー生態学的研究、彰考書院、1944年>
この5個大隊は、ポナペ島の北、東北、東南の3地区に一個大隊ずつ、飛行場のある西地区には2個大隊が配置された。

全くの偶然ながら、ポナペは大部隊を擁する一大拠点となっていったのである。
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by iyasaca | 2014-06-07 00:00 | ミクロネシア連邦 | Comments(6)
Commented by 北川忠武 at 2015-04-18 22:02 x
私の父 北川玉一大尉が北川忠武です。ポナペ島には飛行場があったのでしょうか、どの設営隊が何年何月に造ったのでしょうか。 Email:assist-tk@mist.ocn.ne.jp
Commented by iyasaca at 2015-04-19 10:29
北川様、コメントありがとうございます。ポナペ島には当時、ナンポーンマル(Nan Pohn Mal、第一飛行場)とパリキール(Palikir、第二飛行場)というポナペ島西部の場所にそれぞれ飛行場があったようです。パリキールの第一飛行場建設の責任者として、キタワガ大尉(Captain Kitawaga)という名前が見られます。北川大尉は、すでにモートロックで飛行場設営の実績があることから、パリキールでも同様に設営責任者に任じられたであろうことから、名前の綴りは単純な間違いではないかと思われます。(http://www.pacificwrecks.com/airfields/fed_states/palikir/index.html)。第一か第二か不明ですが、上空からの写真も見られます。(http://www.vmb-613.com/photographs/nan_pohn_mal.html)ほかに最大の町であるコロニアの北にあるランガールという島に水上飛行機の基地がありました。パリキールの第二飛行場の建設時期は分かりませんでしたが、1943年10月以降早い時期に建設を始めたのではないかと推察できます。担当した設営隊については、追いきれませんでしたが、独立混成第52旅団の中に編成された海軍設営隊であったのではないかと推察します。
Commented at 2015-07-06 18:39 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by iyasaca at 2015-08-10 19:30
海軍陸軍が一緒ということは確かにないでしょうね。記述がそのようになっているところは修正が必要だと考えています。
Commented by 北川 忠武 at 2016-08-19 20:46 x
詳細な返信を頂き誠にありがとうございます。
ご好意に甘えまして・・・・海軍第221設営隊はモウトロックから移動中に敵潜の雷撃で沈没したようですが、船名は判りませんか?
Commented by iyasaca at 2016-09-22 09:26
北川さま、直接のご回答ではありませんし、すでにご存知かと思いますが、国立公文書館アジア歴史資料センターに第221設営隊の戦時日誌が所蔵されております。ただしこの日誌は1944年10月1日から終戦までのもので、お尋ねの時期の資料ではありません。

また、こちらもお尋ねの件とは関係しませんが、「日本海軍の敗れた日」の中にも北川大尉のお人柄を示す記述がありますね。https://books.google.co.jp/books?id=NX94CgAAQBAJ&pg=PT49&lpg=PT49&dq=%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF+%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%A8%AD%E5%96%B6%E9%9A%8A&source=bl&ots=aT2trtZFsF&sig=2yZzSqMd0YV1-R0XprB7iZEs3bc&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjD9sP9y6HPAhUFk5QKHblCDFIQ6AEINzAI#v=onepage&q=%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%20%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%A8%AD%E5%96%B6%E9%9A%8A&f=false

あまりお役に立てず、申し訳ありません。
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