勝手に僻地散歩



癸巳

謹賀新年

本年の干支は癸巳(みずのと・み)である。

癸(き)は十干(じっかん)の最後にあたる。五行では木は春、火は夏、金は秋、水は冬とされることから、水の陰干である癸(みずのと)は、季節としては晩冬である。古字では☓であり、これは草が枯れ、木々の葉も落ち、遮るものがない景色の中に、それまで隠れていた地表を走る水が四方から集まり、地中に凍みていくさまがはっきりと見えるようになった情景を象っている。

見通しが立ち、測量に適していることから、癸には「はかる」との意味もある。「はかる」には、人の手が必要なことから、手偏をつけて揆という字も生まれた。また「はかる」からには、基準、法則、道筋といったものが必要となる。

このことは、孟子・離婁(りろう)篇の
「先聖後聖、其の揆一(きいつ)なり」
-聖人の立てる道筋はいつの世も一つである

後漢時代の歴史家、班彪の「王命論」の
「天に応じ、民に順うに至ればその揆一なり」
-天の命ずるところ、民の望むところに従えば、自ずと天下を治める道は一つに収束する

にも触れられている。いずれも「基準や法則はいつの世も、誰にとっても同じである、もしくは同じでなくてはならない=揆一」との意である。

さて巳の方は、説文解字によれば、「巳は巳なり、四月陽気すでに出て、陰気すでに隠れ、万物現れ、彣彰(ぶんしょう、美しい彩り)をなす。故に巳、它となる。象形なり」との説明がなされている。つまり啓蟄(けいちつ)という時期を迎え、地中に眠っていた動物が外に出てきて活動をはじめる様子を象った文字ということである。春先に活動を開始する動物の典型例として、蛇を指す言葉となったが、本来は蛇に限らないとの説もある。転じて、従来の因習的な生活に終わりを告げるとの意味も担うようになった。

そこで癸巳である。前年(壬辰)までは、私利私欲を貪る壬人、佞人、奸人、野心家が多く現れ、時局を揺さぶるものの、問題は内在したままであったが、次第にそれらが活発な行動として現れ、従来の因習的生活に区切りをつけ、新しい方向に進んでいくという年である。その際には、諸事、原理原則を踏まえ、方針を立て(はかる)、実行していかなければならないが、注意を怠ると揆が揆でなくなり、道を外れ、世は乱れ、その結果大きな災厄をもたらす年にもなり得る。筋道を失えば、一揆(動乱、打ち壊し運動)が起きるというわけである。

このような転換期に重要なのは、指導者である。「揆」という文字には百事を取り扱う役職、つまり大臣・宰相という意味もあるのである。人の上に立つものは、まずは自らを省み、次に世間の情勢と人間をよく観察し、適切な政策を選択し、誤りのないようにしなければならない。

前回の癸巳は1953年(昭和28年)である。この年の2月にはNHKが開局、その後も民放各社が続々と立ち上がり、放送を開始した。ラジオの時代からテレビの時代への幕開けの年でもあった。

またこの年の4月には衆議院選挙があり、第四次吉田内閣が成立した。院内構成を見ると、保守陣営が自由党(199議席)と鳩山自由党(35議席)、改進党(76議席)と林立し、革新も右派社会党(66議席)、左派社会党(72議席)と並立した。この年の選挙は、2年後の保守合同、55年体制に向けた流れの前段階として、吉田茂が敷いた戦後体制からの転換の端緒となったのである。

さて昨年末の総選挙では自民党が圧勝し、民主党は大敗した。われわれは、高度成長を前提とした社会構造から安定成長型社会に適合した社会保障制度、税制への転換、中央と地方の関係の再構築、そして国家意識の高まりに伴う憲法改正論議など、いずれも長きにわたって内在していたとも言える課題に対し、本格的な取り組みを始めなければならない局面に立ち至っている。干支が示す通り、来るべく新しい時代に向けて、動き出す年となるのだろうか。政党の乱立という現象の向こう側に、その気配が透けて見える。

皆様にとって良い年でありますように。
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by iyasaca | 2013-01-01 00:00 | 新年のご挨拶 | Comments(0)
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知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
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