勝手に僻地散歩



沖縄に行ってみた その3 - 港川人から見える日本人の起源

日本の旧石器時代の人骨は、ほとんど沖縄で発掘されたものであることはすでに触れた。全身の人骨が残るものとして最も古いのは、推定1万8,000年前とされる港川人である。

f0008679_21164088.jpg港川人は、1967年に沖縄県八重瀬町にある標高20メートルほどの石灰岩台地の80センチほどの割れ目(フィッシャー)に詰まっていた土の中から鹿や猪の化石骨とともに発見された。発見したのは那覇市内でガソリンスタンドを経営していた大山盛保氏である。
<写真:大山盛保氏>

f0008679_2135134.jpg発見された港川人の人骨を分析したところ、4つの個体が確認された。うち全身骨格が残っていた人骨は、突き出た眉間、四角く横長の眼窩、角張った顎などの特徴が、九州以北で発掘された縄文人の頭蓋の特徴と似通っていることから、この港川人こそが縄文人の祖先とされてきた。
<写真:縄文人の祖先とされていた分析に基づく復元図、日本人っぽく描かれている>


f0008679_21351713.jpg2009年に国立科学博物館による港川人の人骨の再調査が行われたところ、港川人を九州以北の縄文人の祖先とする学説に大打撃を与える事実が明らかになった。港川人の復元された下顎が、誤って接着されていたことがわかったのである。正確な下顎の幅は11ミリも短かった。CGで復元された港川人の顎は丸みがあり、角張っていなかったのである。
<写真:新たな分析に基づく復元図、パプアニューギニア人みたい>

正しく復元された頭蓋骨をさらに分析すると、ほかにも九州以北で発掘された120体の縄文人の平均サンプルと異なる点が発見された。最も顕著な違いが認められたのは以下の2点である。
1)縄文人と比べ、港川人の下顎枝の面積は有意に小さく、また高さと幅との比較においても大きく異なる
2)オトガイ(下顎の先端)について、港川人は突き出ていないが、縄文人は突き出ている

さらに全身骨格の形態を見てみると、肩幅は狭く、鎖骨や上腕骨が細いなど上半身が華奢な割に、大腿骨は発達しており、下半身はがっしりしている。またひざ下が縄文人とは異なり、かなり短いという特徴も明らかになった。頭骨については、やや似通っているところが多いが、全身のつくりは大きく縄文人と異なっていたのである。

つまり港川人は九州以北の縄文人との関係が薄いということが分かってきたのである。それでは、港川人はどこから来て、どこに行ったのか、九州以北の縄文人はどこから来たのだろうか。

そこで注目されたのが、2004年にハノイの南西50キロ、ホアヒン省カオサイ村にある幅11メートル、高さ5メートル、奥行き18メートルのハンチョウと呼ばれている小さな洞窟から発見された約1万年前の女性の人骨である。人骨は洞窟の入口近く、地下80センチの場所で発見された。この東南アジア最古の人骨であるハンチョウ人は、四角い眼窩、広い鼻の空間、頭が前後に長い、眉間が盛り上がり、ほりが深い、下顎枝の上下の長さの割合という新たに判明した港川人の特徴と一致したのである。

さらに2008年に沖縄県南城市の武芸洞から2,500年前の人骨が発見された。発見された人骨は、上半身が細く華奢、鼻の付け根から顎までが短く低顔で、頭骨は縄文人より上下に短く、身長が150センチと縄文人の平均身長160センチに満たないなど港川人(港川1号は身長153センチ)に近い。わずか一体の事例を持って断定するのは早計だが、港川人に代表される集団は、東南アジアから沖縄に渡り、その後も沖縄にとどまり、北には移動しなかったということも考えられるのである。



f0008679_2203655.jpgf0008679_2152893.jpg
しかし、数千ものサンプルのある縄文人に比べ、旧石器時代の人骨のサンプル数はあまりに少なすぎる。多めに数えても9体だけなのである。例えば現代日本には、同じ時代にこれだけ違う顔形の人が生活しているのである。どちらかだけ化石になって残っていたら、後世にはぜんぜん違う時代が描き出されてしまうわけである。さらにアフリカから日本列島にまで移動してきた人類が、沖縄にまで到達して、それより北への移動が全くなかったと考えることも不自然ではないか。
[PR]
by iyasaca | 2012-07-21 23:53 | 沖縄 | Comments(2)
Commented by 兵度津 at 2015-06-19 16:30 x
港川人は顔の大きさはどうったのでしょうか?縄文人と比べて小さいのでしょうか、それとも大きいのでしょうか?
Commented by iyasaca at 2015-06-21 17:04
兵度津さま、
顔の大きさ=頭蓋骨の大きさと理解し、頭蓋骨のサイズを比較する際に用いられることの多い脳容積の推定値の比較ということでお答えしますと、4体のうち一番大きく、唯一の男性とされる港川一号の推定脳容積は1,335cc(旧石器時代人骨の形態と年代の再検討-科研費S「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」研究班より)で平均1,500ccとされる縄文人の平均と比べると小さいようです。ちなみに現代人の脳容積は縄文人より小さくなっているという研究もあります。
<参考>
http://www.nihonkaigaku.org/library/lecture/lecture20110604.pdf
http://www.kahaku.go.jp/research/department/anthropology/report02/s8.html
<< 沖縄に行ってみた その4 -石... 沖縄に行ってみた その2 -旧... >>


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
最新のコメント
以前の記事
カテゴリ
タグ
ブログパーツ
記事ランキング
ブログジャンル