勝手に僻地散歩



修善寺温泉・新井旅館にいってみた その1

f0008679_22285984.jpg
修善寺温泉では20の温泉宿が軒を連ねている。あさば、菊屋などいくつもの老舗旅館があるが、今回投宿したのは、新井旅館である。この旅館は、約3,000坪の邸内に建つ建物のうち、15棟が有形文化財に指定されている典型的な動態保存の文化財なのである。特に湯殿として唯一の有形文化財である天平大浴場は見ものである。

新井旅館は1872年(明治5)に「養気館新井」として創業している。源頼政の室であった「菖蒲の前」が入浴したという伝説のある「あやめの湯」を再興するためという創業者の思いがこめられていると伝えられている。創業者の相原平右衛門氏は、旅館業に転ずる前は、現在の新井旅館から天城方面に3キロほどの場所にあった修善寺町本立野新井という村落の地主で酒造元蔵元「新井」を営んでいた。新井という土地の名前の由来は、そのまま新しい井戸というところにある。良質の水の湧く酒造りに適していた場所だったのだろう。

当初は部屋を提供するだけで、食事は自炊、風呂も外湯のみだった。いわゆる湯治場を経営するかたわら、平右衛門は薪や炭の販売を行うなど、狩野川を経由して沼津港や横浜を相手にする船廻問屋で財をなした。

f0008679_2232982.jpg
新井旅館が飛躍を遂げるのは三代目相原寛太郎(1875-1945)の代になってからである。相原寛太郎は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)に学び、画家を志していたが、その時に知り合ったのが、新井旅館二代目館主相原平八の娘つるである。相原家の婿養子に入った寛太郎は後に、三代目館主となった。三代目は、岡倉天心の没後に解散状態となった再興日本美術院や安田靫彦、前田青邨、今村紫紅、石井林響、川端龍子など、当時の若手芸術家のパトロンとなるなど美術界への支援を惜しまなかった。このことが、後の新井旅館の隆盛をもたらすことになる。後年、芸術に造詣の浅い私でも名前くらいは知っているという横山大観をはじめとする多くの文人墨客の作品が多く新井旅館に残されることとなり、その作品群は「沐芳コレクション」とまで言われるほどである。沐芳は寛太郎の雅号である。

新井旅館には書画として横山大観22点、前田青邨20点、紫紅14点、古径11点、良寛10点、安田靫彦85点など計300点以上、書簡としては安田靫彦500通、横山大観40通、今村紫紅32通、速水御舟7通、菱田春草7通など手紙、礼状、宿泊申込の書などが所蔵されている。多くが逗留のお礼で置いていったものである。
[PR]
by iyasaca | 2010-04-03 21:41 | 静岡 | Comments(0)
<< 修善寺温泉・新井旅館にいってみ... 修善寺温泉にいってみた その1 >>


知ることで景色が変わる。誰にも頼まれてないですが、あちこちにいってきます。
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
検索
最新のコメント
以前の記事
カテゴリ
タグ
ブログパーツ
記事ランキング
ブログジャンル