勝手に僻地散歩



マーシャル諸島にいってみた その6

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<写真:太平洋核実験場における核実験、Library of Congress, Public Domain>
戦後、南洋群島(現在の北マリアナ連邦、パラオ、ミクロネシア連邦、マーシャル諸島)は、米国による占領統治の後、1947年からは国連の信託統治領「太平洋諸島国連信託統治領」に移行した。米国は、占領統治時代の1946年7月に最初の核実験「クロスロード作戦」を実施し、47年7月には、2,000あまりの島々が点在するマーシャル諸島を中心とする780万平方キロの海域を正式に「太平洋核実験場(Pacific Proving Ground)」と宣言した。その後米国は1962年までの16年間で、166回もの核実験を行うのである。

米国は、これら核実験の実施に際して、島民の強制移住を行った。
46年03月 ビキニ環礁の住民→ロンゲリック環礁
46年05月 エニウェトク環礁の住民→クェゼリン環礁メック島
ロンゲラップ環礁とウォト環礁の住民→ラエ環礁
47年12月 エニウェトク環礁の住民→ウジェラング環礁
48年01月 クェゼリンの米軍基地労働者のマーシャル人→イバイ島
48年03月 ロンゲリックで飢餓状態に陥っていたビキニ住民→クェゼリン基地に収容
48年11月 クェゼリン基地のビキニ住民→キリ島(ラグーンなし)

無計画といってもよいこの強制移住自体もひどい話だが、爆心地から525キロ離れたアイルック環礁の住民に至っては、放射性降下物が米軍によって把握されていたにもかかわらず、住民の避難は計画段階で中止されていた。結果として、アイルックの島民は異常出産、先天性障害、コブ、癌・甲状腺異常などの被害に苦しむことになった。

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<写真上:実験前のエニウェトク環礁の航空写真、写真下:実験後の航空写真、エルゲラブ島は蒸発した。US government DOD and/or DOE photograph, Public Domain>
珊瑚礁も甚大な被害を被っている。2008年4月にオーストラリア研究会議が発表した海洋環境調査の結果によると、ビキニ環礁の珊瑚礁は8割がた回復しているものの、28種類の珊瑚が絶滅したことが明らかとなった。さらにエネウェタク環礁では、1954年の水爆実験で、珊瑚礁どころか、島が一つ吹き飛んでいる。実験場のビキニ、エニウェタク環礁はようやく最近、放射線レベルが低下し、ダイビング目的の短期滞在者が戻り始めたという状態で、島民の帰還は実現していない。


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<写真:こんなに美しい環礁を核実験場に>
この一連の核実験で日本国民も被害を受けている。1954年、第五福竜丸の乗組員が、マーシャル諸島の海域で操業中、水爆実験ブラボーに巻き込まれ、死の灰を浴びたあの事件である。ブラボーの実験では、核出力6メガトンを予定していたにもかかわらず、実際には2.5倍の15メガトンを出力したために、設定していた警戒水域外にまで被害が及んでしまったのである。

核実験が終了しても米国はマーシャル諸島を手放さなかった。1961年からは迎撃ミサイルの実験場となっているのである。また米国は島の緑化という名目で、タガンタガンの種子を空中散布した。その結果、在来種が駆逐され、島の生態系と農業は壊滅的な打撃を受けている。

1963年に部分的核実験条約が調印され、大気圏内核実験と水中核実験が禁止されたことをもって、PPGでの核実験は終了した。後の米国による核実験はネバダ核実験場で行われることになった。ネバダでの核実験も1992年を最後に行われていない。


<資料:太平洋核実験場における核実験一覧>
太平洋核実験場では、9回の作戦が行われた。
1) 1946年 クロスロード作戦(ビキニ環礁、2回)
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7月1日に広島・長崎以降行われた最初の核実験。エイブル(Able)は地上158メートルで行われた大気圏内核実験であった。
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7月25日に行われた水中核実験。ベーカー(Baker)は水深27メートで爆発。核出力はそれぞれ21キロトン。長崎型(Fatman 21kt)とほぼ等しい破壊力である。

  
2) 1948年 サンドストーン作戦(エニウェトク環礁、3回)
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4月14日、20日、5月14日に、それぞれX-ray(37キロトン)、Yoke(49キロトン)、Zebra(18キロトン)を実施。今まで使用された核爆弾はウラン235を使った広島の爆弾をのぞき、すべてプルトニウム型であったため、超高濃縮ウランを使った核の実験として実施された。


3) 1951年 グリーンハウス作戦(エニウェトク環礁、4回)
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Dog:4月8日、70キロトン
Easy:4月21日、47キロトン
George:5月9日、225キロトン
Item:5月25日、45.5キロトン
水爆製造に向けての準備として位置づけられた実験。

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<写真上:George。長崎型の10倍の威力。写真下:Easy かItemとされている核実験>
4) 1952年 アイビー作戦(エニウェトク環礁、2回)
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Mike:11月1日、10.4-12メガトン(最初の水爆実験、長崎型の500倍、広島型の700倍の威力。常温では気体であるcryogenic liquid Deuterium(Hydrogen-2)を使用したため、3階建て、82トンと大きすぎて兵器たり得なかったが、核融合を用いた爆発がいかに大きな破壊力を持つかを知らしめることが目的。実験場のElugelab島は吹き飛び、深さ50メートル、直径1,9キロのクレーターが残った)
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King:11月16日、500キロトン(純粋な核分裂型爆弾としては最大)


6) 1954年キャッスル作戦(エニウェトク環礁で行われたEchoを除き、ビキニ環礁、7回)
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Bravo:3月1日、6メガトン予定が15メガトン(第五福竜丸事件、15.3milの賠償)
Romeo:3月27日、4メガトン予定が11メガトン
Koon:4月7日、1メガトン予定が110キロトン(失敗)
Union:4月26日、3-4メガトン予定が6.9メガトン
Yankee:5月5日、8メガトン予定が13.5メガトン
Nectar:5月14日、1.8メガトン予定が1.69メガトン

三重水素による水爆実験は2回実施。4回は、巨大な冷却装置が必要な三重水素に代わり、重水素化リチウム(LiD: Lithium Deuterium)を利用した水爆実験を行った。写真はロメオ。

7) 1956年レッドウィング作戦(エニウェトク環礁、ビキニ環礁、17回)
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飛行機に搭載可能な水爆開発
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8) 1958年 ハードタックI作戦(エニウェトク環礁、ビキニ、ジョンストン諸島。35回)
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部分核実験禁止条約調印が見えてきたので、駆け込み的に行われた。


9) 1962年ドミニクI作戦(クリスマス諸島、ジョンストン諸島、96回)ドミニクI作戦自体は全105回実験を行っている。うち9回はネバダ実験場で実施されたものである。B-52からの投下実験が主。新規開発した弾頭実験、既存弾頭の信頼性を確かめる実験、兵器効果を確認する実験などが実施。米国が大気圏内実験をしたのはこれが最後。
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by iyasaca | 2009-06-13 14:05 | マーシャル諸島共和国 | Comments(0)
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