新約聖書を構成する4つの福音書、パウロの書簡、公同書簡などを見てみると、多くの文書が誰が書いたものか分からない文書であることに気づいた。特に福音書については、文書の名称にあるイエスの直弟子(使徒)の手によるものでないどころか、パレスチナに行ったことがない人物の手による文書も含まれていることも分かった。キリスト教の創始者とも言えるパウロもイエスと面識がなかった。つまりイエスについての記述が最も豊富な新約聖書は、イエスを直接知っている人物によって書かれているわけではなかった。
しかしイエスは、後世にまで残る事績を残した聖人である。聖書以外にもイエスに関する記述が残っているはずである。次に聖書以外にイエス・キリストが記載されている文書を見てみる。
聖書以外でイエスに対する記述があるとされている文書は旧約聖書の解説書であるタルムード、イエスと同時代に生きたフラウィウス・ヨセフスによるユダヤ古代誌、ローマの歴史家である何とかの年代記などが挙げられることが多い。文献研究のさわりと結論だけ簡単にまとめてみる。
1)タルムード(Talmud)
旧約聖書の解説書。現代のユダヤ教の教派の多くは聖典として認めているが、全てではない。6部、63編から構成される。口伝律法をまとめる作業は2世紀末に始まり、現在の形になったのは6世紀ごろとされる。ヘブライ語で書かれている。
2) フラウィウス・ヨセフス(紀元37年?-100年) Testimonium Flavianum『ユダヤ古代誌』18:63-64 唯一フラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ古代誌」にある、いわゆる「ヨセフス のキリスト証言」とよばれる一節である。

まずタルムードである。
タルムードにはイエスへの言及が4ヶ所あると言われている。結論を先に言えば、イエスに言及されているとされる箇所の話は、いずれもイエスの生きた時代とずれており、内容も聖書に書かれている内容と一致しない。主語がイエスでない場合(ベン・スタダ、ベン・パンディラという人物をイエスと同一人物としている)もある。つまり無関係のエピソードを無理やりイエスに結びつけているように見える。またタルムードがイエスを冒涜しているという話もあるが、冒涜しているどころか言及すらされていないと理解するのが妥当だろう。(イエスについて触れているとされる該当箇所の分析については、
ここに詳しい)また、タルムード自体が2世紀末から6世紀にかけて少しずつ編纂されて言った書物であり、イエスの生きた時代から時間的隔絶があることもイエスの実在を考える上では弱い点である。

もう一つはローマの歴史家タキトゥスの手による年代記である。年代記はティベリウス帝即位(AD14年)からネロ帝の死(AD68年)までを扱った全18巻の歴史書の15巻44章に以下の記述がある。
「そこでネロは、この(ローマに放火を命じたという)風評 をもみ消そうとして、身代わりの被告をこしらえ、これに大変手の込んだ罰を加える。 それは日頃から忌まわしい行為で世人から恨み憎まれ、「クリストゥス信奉者」 と呼ばれていた者たちである。この一派の呼び名の起因となったクリストゥスなる者は、 ティベリウスの治世下(AD14-37)に、元首属史ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。」
タキトゥスはAD55年生まれで、ネロ帝の死が68年6月8日である。いずれにしてもイエスの死後に生まれており、その記述も伝聞にとどまっている。

最後にフラウィウス・ヨセフス(紀元37年?-100年) の手による「ユダヤ古代誌」がある。フラウィウスの最晩年の95年頃完成したと伝えられるもので、18巻63に以下の記述がある。
「このころ、イエスという賢人―実際、彼を人と呼ぶべきであるとすれば―が生きていた。驚くべき業を行い、喜んで真理を受け容れた人々の教師であり、多くのユダヤ人とまた多くのギリシャ人 を誘って帰依させた。彼はキリストであった。ピラトは彼が、われわれの間の高位の人びとによって告訴されると十字架刑の判決を下したが、最初に彼を愛するようになった人びとは彼を愛することをやめなかった。というのは三日目に彼は復活して彼らに現れたのは、神の預言者たちがこれらのことと彼についての、その他の無数の驚嘆すべきことがらを語っていたからであった。彼によってキリスト者と名づけられた族は今もなお消え失せてはいない。」
まずフラウィウスがイエスの死後に生まれている人物で、実際に上記を書いたのは95年というからイエスの生きた時代から一世代は離れている。加えて、当該部分は後世に書き加えられたものではないかという疑惑が16世紀頃からあった曰くつきの文書なのである。
結論的に言えば、イエスの生きた時代にイエスについて書かれた文書は一つも存在しないのである。イエスについて最も詳細な記述のある新約聖書についても、著者が高い蓋然性をもって確定できるパウロ書簡の一部を除いては、どこの誰が書いたものかを確定的に指し示すことができない文書群なのである。そのパウロもイエスとは面識がなかった。
聖書以外の文書についても、すべてイエスの死後50年後以降のものであり、他の資料を参照したか、伝聞によるものであると考えられる。したがってイエスの実在については、確実な一次史料を欠いているということになる。
しかし上記資料で一番信頼度の高いタキトゥスの年代記によれば、AD64年のローマ大火の際のスケープゴートにキリスト教徒が使われたという記載を考えると、イエスが実在したかしなかったかは別にして、西暦64年の段階ではすでに、キリストを信奉する集団が存在していたということは確実のようである。
私なりにイエス・キリストの姿を追ってみたが、イエス・キリストという人物は、その影までは見せるが、決してその姿を見せないのである。イエスが生きた時代は2000年も前、日本で言えば弥生時代の話である。日本で弥生時代に生きた人物の発言は一つとして残っていない。したがって痕跡だけでも残っていること自体、奇跡なのかも知れない。しかしそれでも、これだけ語られている人物の正体が知れないというのは不思議な話である。